今日のエッセイ-たろう

「食と体格」について考えてみよう。 2024年9月18日

日本人の平均身長は、この半世紀ほどの間にずいぶんと高くなった。かつては180cmを超えればかなりの大男だと言われたし、190cmを超えると見上げるほどの巨人のようだった。もちろん今でも高身長であることは間違いないのだけれど、以前ほど驚かなくなったように思う。この人おっきいな、と感じるのは自分や周囲の平均と比べた場合の感覚だから。

現在の平均身長は男性で約172cm,女性で約158cmだそうだ。戦後間もない1950年では男性が約160cm,女性が148cmだから、男女ともに10cmほど大きくなったのだ。(いずれも30代で比較)

戦後間もない頃と現代の栄養摂取を比較してみると、おもしろいことがみえてきた。エネルギー摂取量はほとんど差はなく、タンパク質摂取量もわずかに増加しているだけ。圧倒的に違うのは動物性タンパク質の摂取量で、倍以上に増加しているのだ。やはり一般的に言われている通り、動物性タンパク質は体の成長にとって重要なのだろう。

そういえば、縄文時代から平安時代までの間は緩やかではあるけれど、平均身長は右肩上がりだった。けれども、鎌倉時代を堺に小さくなっていくのだ。日本史上、最も平均身長が低かったのは江戸時代から明治時代。つまり、日本人は右肩上がりに大きくなり続けてきたわけではないのである。

これは、おそらく食生活の変化だろう。それまで当たり前のように食べられていた獣肉があまり食べられなくなり、とにかく穀物を多く食べるようになった。魚はその貯蔵の難しさから、流通量が少なかっただろうから、体格が大きくなりようがなかったのだろう。

最も平均身長が低かったのは、江戸時代。実は、徳川幕府歴代将軍の中で最も身長が高かったのは2代目の秀忠で160cm、2番目が初代の家康である。そう、戦国期のほうが体が大きかったのだ。暴れん坊将軍で知られる吉宗でさえ155cm、生類憐みの令で有名な綱吉はなんと124cmとずいぶんと小柄な人物だ。もしかしたら、ほとんど動物性タンパク質をとらなかったのかもしれない。

体格が「良い」とか「改善」と表現されることがある。それは、大きいことが良いことであるという価値観が介在しているのだろう。だが、その価値観は普遍的なものなのだろうか。

江戸時代の人々が小柄だったのは、現代で言うところのベジタリアンやフレキシタリアンであったからだ。食料供給面で動物性タンパク質の摂取に問題があったのではなく、社会全体の文化がそうだったからである。というのは間違い無さそうだ。しかし、それだけではない可能性を考えている。

体格が大きくある必要がなかった。そういう解釈を与えてみよう。戦いでは体が大きいほうが有利だっただろう。特に、海外との戦いでは相対的に頑強であることが求められる。明治以降に体格向上を政府が計画したことは良く知られるとおりである。しかし、日本は元寇以来、海外からの侵攻を受けたことがない。戦国時代が終わって、5代目綱吉によって恒久的な平和が目に見えるようになってきた。そうなると、もはや戦いは無いと信じられるようになる。であれば、燃費の悪い大きな体を作るより、小さくても頑強でよく動く体であることのほうが有利だった。

つまり、「体が小さいほうが良かった」と考えられる社会だったのではないか。そんな問いが生まれる。瞬間的に爆発的なパワーを生み出すような力は必要なく、どちらかと言えば長く駆動し続けられる力は、道具や動物の力を利用した農業に適していた。そのためには多くのカロリーが必要ではあるけれど、生産効率の良い穀物で賄うのだ。必要カロリーは多かったかもしれないけれど、それは重労働をしていたからで、現代人のような体格の人が同じ労働をしたらもっと多くのカロリーが必要なはず。そう考えれば、国全体としては食料需給効率は良いはずだ。田畑をむやみに開発する必要もない。などと想像ができる。

例えて言うなら、大きな鉄製のエンジンやボディを作るのではなく、軽量コンパクトで丈夫な車という感じだろうか。まるで軽トラックだ。

みんな軽トラックやコンパクトカーになったからといって、なにか問題があるのか。逆に、みんなが小さければ良いのだ。家を大きく高くしたから、背が高くないと高いところに届かない。調理台だって高すぎて使えない。全部コンパクトにしてしまえば、困るのはぼくのほうだ。頭をぶつけるし、調理台は低すぎて使えない。それだけのこと。

今、人類はタンパク質獲得競争時代に突入しようとしている。下手をすると国家間の争いになりかねない。だから、フードテック業界は本気で国際協力をしながら課題を解決しようとしているのだ。肉に代わる優秀なタンパク質で健康を維持しようと。

しかし、もしかしたら動物性タンパク質の摂取量が世界的に減少して、みんな小柄になる可能性だってあるのだ。それを良くないこととして忌避するのではなく、一度肯定してみるという発想があっても良いのではないだろうか。想像しにくいかもしれないけれど、可能性はあると思うんだ。

もし、数十億人の人達が小柄になる世界がやってくるとしたら、世界は今ある姿とは違う仕組みに作り変えることになるだろう。建物も、車も船も飛行機も、みんな小さくなる。もう少し密集した集落を点在させるまちづくり。こうした環境に最適化されたタンパク質供給体制。

今日も読んでいただきありがとうございます。「平均身長よりは大きい」という状態で各年代を過ごしてきたから、「小さいこと」に対してあまり意識的になったことはなかったんだよね。だけど、よくよく考えてみたら小さいほうがメリットがあるかもしれないと思ってさ。スポーツとか戦いを考えなければ、適した社会を作っていけばいいし、その社会の方がエコだったりするかもしれないよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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