食の安全は大切だ。それはそうだ。今までもこれからも、安全な食品を十分に確保できることは人類にとってのテーゼとも言える。
食の歴史を紐解けばわかるけれど、もう千年以上もの長い間取り組み続けてきたことだ。今になってみれば、眉唾だったり逆効果だったということもたくさんある。健康に良いと思われたことが、実は害をなしていたというケース。それよりももっと多いのは、「食材の安全」と「量の安定」のバランスが崩れること。安全な食材を求めた結果量が足りないということもあるし、生産量を増やしたら食の安全が疎かになったということも。古い時代にはバランスを取ろうという意識は薄いのだが、それはそもそも生産量が増やせなかったからだ。結果として人口が増えない。
著しくバランスが崩れやすくなって、調整が難しくなるのは近世以降、特に近代に入ってからが目立つ。普通の動物は、食料が増えるから個体数が増えるのであって、食料が減れば自然減ということになる。ところが、人間は個体数を維持するための知恵をもっているものだから、従前の環境がもっている人口支持力(単位面積当たり、何人分の食料を確保できるか)を超えた生産を行うようになった。
歴史上、大きな転換点となったのが「土地」が所有物として固定されたこと。もっと正確に言えば、地租だ。日本であれば検地がこれにあたる。ここは誰の土地であるか。そして、この土地から生み出される農産物の量はいかほどか、をベースに税が定められた。このくらいは収穫できる「はず」を前提にしたものだから、もちろん不作のときは苦しいのだが、もっと大変なことがおきた。「毎年同じ土」で農耕をすることを定められたのだ。
人類が今までに行ってきた農法の中で、もっともサスティナビリティが高いのは「三圃式農業」や「焼畑農法」のようなスタイル。いくつかの農地を循環させて、何年かに一度必ず土地を休ませる。それが出来なくなったので、仕方がないから肥料を使うようになった。肥料は土をパワーアップさせるものではなく、疲弊した土を回復させるもの。ファンタジーの世界で言えばポーションのようなものだったのだ。土壌の負担は少なくないけれど、それまでの循環式に比べれば耕作地の絶対面積が増えるので生産量は向上する。結果として人口が増えた。江戸期の日本が鎖国を維持できたのも、戦国時代に培った戦闘力もさることながら、それを底支えしている人口の多さ、そして人口を支えられる農業生産力があった。
近世から近代にかけて、「儲ける」という目的が割り込んでくる。食料で利ざやを稼ごうというのは中世以前もあるけれど、意識としては薄い。特に近代化が進むと食の工業化、産業化が進んだ結果「安全」「量」「利益」の三つ巴のバランスを取らなければならなくなった。このバランスをとるのはとても難しい。世界中で「企業の利益」のために「安全」が脅かされた事例は枚挙にいとまがない。だからこそ、バランスを取ろうと地道な努力を積み上げてきたのだろう。そうした努力の中で、そもそも農耕と利益を切り離そうとする地域もある。量と質を担保するために、農業従事者の利益は政府が全面的に負担する。資本主義国家での話だ。きっと、いろんな試行錯誤のうえでこうなっているのだろう。
食の安全は大切だ。と意識する人が増えるのは大歓迎だ。だけど、食の安全から施策にたどり着くまでがあまりにも短絡的で性急な話には警戒感をもっている。よく見かけるのは「小麦粉は体に悪い」「すべての農薬は体に悪い」「自然農法にすべき」という極端なはなし。もちろん、こんな根拠のない話に同意する人は少ないと思うけれど、少ないと言っても割合の話であって、世に強い意見を放つことはよくあること。世界史でも目立つ行動をするのは極端な思想集団だろう。
食の安全は大切だ。という問題意識から、課題解決までのステップが単純過ぎるのだ。世の中そんなにシンプルじゃないし、分割すれば解決できる問題とそうではない問題がある。だからこそ、丁寧にコツコツと進めるのが良いだろうと思う。ものすごく手間のかかることだけれど、体験や直感、知識を総動員する。農業の現場で培った経験に基づく知見、農業研究者、土壌学者、地質環境、流通システム、安全管理などなど。いろいろとやることはたくさんある。みんなが繋がって知見を統合することも必要だし、過去の研究とも接続する必要があるはず。
これらの「包括的な知見」を見ていないのか見ないようにしているか知らないけれど、安直に「これこそが正義」と振りかざすと、結果としてファクトとズレた「嘘」になりかねない。もし、決裁者がこれだったら本当に怖いことになりそうだ。
今日も読んでいただきありがとうございます。主催イベントにもそういうタイプの人が入り込もうとしたことがあるんだよね。「◯◯こそが正義!あなたなら当然そう思っていますよね!」という。そうじゃなくて、まず共創できる土台作りをしようよって言っていたんだけどなぁ。政治っぽい話になってきちゃったんだけど、まぁ食料の話は、我が「おすくに(食す国*日本の美称)」の根幹に関わることだからしょうがないよね。