久しぶりに「食べ放題」という看板のある店に行った。妻も娘も比較的少食だ。だから「食べ放題」の看板を見ても食指が動かないらしい。でも娘にとっては“取り放題”のドキドキやや“よりどりみどりのデザート”の誘惑は、食欲とは別の楽しみのようだ。これから行く機会が増えるかもしれない。
「食べ放題」は文字通り、提供される料理の量に制限がないことで、必ずしも自分で料理を取りに行く必要はない。ある意味、これは日本のお家芸で、定食屋なんかよりも歴史はずっと古い。元々「おかわりいかがですか?」と亭主が気前良く聞く“振る舞い”が飲食業の原点。内容や量が価格の基準なのではなくて、客の満足度が基準だったのだ。やがて江戸の商人文化の発達とともに、一膳飯屋(定食屋の原型)とかケンドン屋(丼物屋の原型)が登場。量と内容を基準とした商品が一般化したのだ。
先日訪れた店は、もちろん“振る舞い”の店ではなく「バイキング」だ。「バイキング」というのは日本独自の表現で、帝国ホテルから始まったという話は聞いたことがある人もいるかも知れない。
バイキング、ビュフェの原風景
昭和32年、帝国ホテル副総支配人・村上信夫がデンマークで出会ったのが「スモーガスボード」。翌年、ホテルの17階にスモーガスボードレストランをオープン。このとき、同年公開された映画「バイキング」にあやかって、「豪快に好きなだけ食べる」イメージをもって「バイキング」と名付けたのだそうだ。新しい食事スタイルを、日本に馴染みやすいように工夫したのだ。
スモーガスボードは、スウェーデン語で「バター付きパンのテーブル」という意味だそうだ。元々、食前酒を飲む前に、軽い前菜を立食でつまむ習慣があったそうだ。冬が長い地域では、すぐに食べられる保存食を並べておくスタイルは、とても便利だったということである。スモーガスボードが北欧で発展したのが16世紀から18世紀にかけて。19世紀になると、鉄道や船旅が一般化してスモーガスボードの軽食が提供されるようになり、ホテルなどでも採用されるようになっていく。ホテルで展開されることで、やがて温かい料理も並ぶようになって、前菜だけでなく食事全体をまかなう形に発展した。
「酒のつまみ」「保存食」の立食だったわけだ。現代人の知っている「バイキング」や「ビュッフェ」とは随分と内容が違う。
気になるのは、食べ残しだ。初期のスモーガスボードは保存食が中心だったので、料理が残っても困らなかっただろう。だけど、温かい料理が提供されるようになってくれば、それは保存ができない。近代以降を順番に見てみよう。
ビュッフェの歴史
19世紀:晩餐会とホテルの時代
19世紀は上流階級の晩餐会やホテルが中心だ。晩餐会や舞踏会なら、参加人数がほとんど決まっている。となると、作る量を人数に合わせてコントロールすることも出来る。多少の残渣はあるだろうけれど、余った料理は使用人たちで消費した。
19世紀末〜20世紀初頭:鉄道と船旅の時代
鉄道や船旅のビュッフェが普及する。豪華客船や鉄道の食堂車での食事ということになるのだけれど、これも乗客数が固定されていて量をコントロールしやすい。移動中のことだから食料の調達にも気を使う。食材を余らせるなんてもったいないことはしないだろう。ありとあらゆる工夫で無駄を排除していた。
20世紀:観光と楽しみの時代
20世紀中頃からは、ホテルや観光地の常設ビュッフェが普及する。たくさんやってくる観光客を相手に、効率よくさばく必要がある。これにはビュッフェが最適だ。このころから、大量に提供するスタイルが定着していく。すると、その分だけ廃棄リスクが高まる。とはいえ、余った料理はスタッフが食べたり、翌日のメニューに転用するのが普通だ。ローストビーフは翌日のシチューの材料になる。
20世紀末〜21世紀:もてなしとビジネスの時代
そして、現代に近づにつれフードロスが増えていった。まず、再利用は禁止だ。生野菜などはスープに使っても良さそうなものだけれど、それは認められない。そういう衛生規制が厳格になっていく。
次に不特定多数への提供が一般化したことが変化をもたらした。レストランで利益を上げるためには、なるべく多くのお客を獲得しなければならない。客単価がほとんど固定されているから、客数を伸ばそうとするのは当然の流れだ。もちろん、客数を読むことはそれまでのようには出来なくなった。
それから、人気のビュッフェは「量が多い」ことと「種類が豊富」だということになった。“振る舞い”文化の復刻とも言えるだろう。目の前にずらりと並ぶ料理たち。ローストビーフ、エビチリ、寿司、パスタ、刺し身にマリネ。「全部をちょっとずつ」のつもりだったはずだが、気がつけば手元の皿は山盛りである。
でも、これが「楽しい」ということになり、客数を伸ばすことにつながった。その結果どこの店でも「山盛り陳列」が常態化。そしてフードロスを加速させることになっていった。
今:フードロスと対峙する時代の始まり
近年になって、やっとその反動が出始めた。ビュッフェレストランは、日常の業務で大量の残渣をゴミ箱へ流し込んできたことだろう。さすがに、心が痛むはずだ。料理の数や量を減らしたり、例えばパスタ一皿とビュッフェのような組み合わせにしたりと工夫が進む。満足感のあるパスタがあれば、ビュッフェカウンターの料理のバリエーションは少なくて済むし、保存の効くデザートを充実させることで満足度を上げることも出来る。
そんな店が「登場し始めた」ところだ。まだ、大量の食料が捨てられている現場も少なくない。今は、市町村単位で「フードロスをなくそう」キャンペーンが展開されているから、消費者の意識も高まっている。消費者の意識の高まりは、大量廃棄の飲食店に対してマイナスの評価を与える流れを生み出すことだろう。
消費者の行動も少しずつ変化が見られる。ちょっと前までは、自分のさらに料理を山盛りで取り分ける人が多く、結果として食べきれないなんてことも当たり前の光景だった。こちらも、少しずつではあるけれど改善し始めている。皿に盛るときは、少量ずつ。足りなければまたもらいに行けば良い。というくらいの心がけがちょうどいいのだ。個人的には、「おしゃれに盛り付けよう」という提案をするようにしている。丁寧に盛り付けようと思うと、てんこ盛りにするわけにはいかない。それに、自分も周りも楽しいでしょう。そんな取り組みがあってもいいと思うのだ。
新たな一歩へ
ビュッフェとフードロスについて、その経緯と対策を見てきた。提供者も消費者も相互にやるべきことがあって、経済合理性とのバランスを取ろうとしてきたのである。さて、もうひとつ提供者側に提案しようと思う。それは、味だ。
まず、とても当たり前で簡単な話をすると、マズイものは食べてもらえない。前出の「パスタ+ビュッフェ」の組み合わせでは、パスタがマズイとどうにもならない。食べきることが苦行に変わるのだ。マズイ料理に出会うことは本当に少なくなったが、例えば甘すぎるとか油が多いというのは、敬遠される傾向にある。
あとは、全体的にもう少し薄味にしてもいいかもしれない。ビュッフェでは、コース料理のように色々な料理を楽しめることが強みなのだ。どんなに言葉で呼びかけたところで、客としては色々と楽しみたいのが心情だろう。現代では比較的はっきりした濃いめの味付けが一般化していて、ワンプレート料理はそれでちょうどいいのだが、多様な料理を楽しむときには濃すぎるのだ。食べ始めのうちは良いかもしれないが、徐々にクドく感じてくる。それでも、うっかり多めに取り分けてしまう人がいるのだから、それがロスか苦行のどちらかに結びついてしまう。
コース料理のように食べる順番を指定することが出来ないから、食べるタイミングに合わせて味の濃さを料理人がコントロールすることは難しい。それはそうなのだけれど、全体的にもう少し淡い味付けにするのもひとつの手段だろう。同様に客も、味付けの濃いものと薄いものをうまくコントロールする術を身につける必要があるかもしれない。
今日も読んでいただきありがとうございます。日本にも随分昔から「大皿料理」があるし、北欧以外のヨーロッパにもある。家庭の食事では、人数も決まっているし個々の傾向も把握しやすいからフードロスを削減しやすい。むしろ、食べる量の違いを大皿に盛り込むことで緩和することが出来るので、銘々膳よりも機能的かもしれない。
それにしても、数百年の時を経て、もてなしの象徴だった大皿料理が、フードロスの温床になるなんてね。人類の食との付き合い方は、案外ビュッフェのように、少しずつ盛り直しながら考え続けるものなのかもしれない。