サラリーマンをやめてから、ぼくの世界は一変した。父の会社に移ったといえば、一般的な転職のように聞こえるかもしれない。でも、実際は経営者で、会社の経営なんてまるで未知の世界だった。不安もあったけれど、自由にいろんなことにチャレンジできるのが嬉しかった。
それが、最初の気持ち。
サラリーマン時代。それはそれでやりがいも感じていたし、仕事の内容も面白かった。けど、今のような自由は感じたことがなかったな。
最初は派遣社員だった。それ以前もやはり派遣社員で、販売店の売り子をしていたのだけれど、知人の紹介で別の会社へと移った。“現場”から“オフィス”へと職場を移すことになったのである。
ある程度仕事が評価されるようになってくると、上司から正社員にならないかと声をかけられた。どうしようかと迷っていたら、本部長から呼び出されて理由を聞かれた。「なぜだ」単刀直入に聞かれたので「この会社は勉強の場だと思っています。やりたいことがあるので、数年で辞めるつもりなんです。」と素直に答えた。すると、「勉強のためなら必死に働け。いる間だけでも必死に働いてくれたら会社は助かる」と言われたので、中途採用試験を受けることにしたのだった。
ぼくは「出世したい」とか思っていなかった。そのはずだったんだけど、「近くの誰かのほうがぼくよりも評価が高い」と知れば、それはそれで穏やかな気持で過ごすことはできない。勉強したり、いろいろ工夫したりして、それでも不甲斐なさを感じることもあった。時には、ちゃんと見てくれていないんじゃないか、と思うこともあった。
気がつけば、出世なんかはどうでも良かったはずなのに、ただの対抗心だけで出世レースに参戦していたのである。
たぶん、ぼくは異物だったと思う。ある程度は社内のやり方に合わせていたけれど、それでも自分で考えて「これだ!」って思ったことをやりたかった。そういうぼくの気質を知っていて、ある程度自由にさせてくれる上司のもとでは伸び伸びと仕事をさせてもらったし、いろんなことを学ばせてもらった。そうじゃない場合は、とても面倒な部下だっただろうな。
会社組織っていうのは、そもそもそういうものなのだ。よほど気をつけてマネジメントをしていかないと、競争相手を社内に生み出してしまう。結局、大なり小なり「自分が誰よりも認められたい」という気持ちが行動の軸になる。一体誰の目を気にしているのだ。同僚か上司か、それとも世間一般が見る肩書という枠なのか。
営業職だったからだとは思うけれど、とても戦闘民族的な組織だった。逃げるな。戦え。実際に戦うのではなくても、精神的にはそうなのだ。いつだったか、本部長から「仕事は長距離走だ。あまり短距離走のような働き方をしていると持たないぞ。」と言われたことがある。でも、現場の感覚としては「100m走を全力で100本連続」。それ、フルマラソンよりきついよね。
この二つが組み合わされば、戦闘的な精神で、必死に仕事に取り組みながら、横目ではライバルたちを意識している。そんな構図が完成する。そして、それはアタリマエだったし「良いこと」だった。「ボクハ、カイシャノタメニガンバッテル。」と思えていたことが心地よかったんだろう。
だから、多少なりとも「結果のために人を利用すること」だってやった。当時はお互い様だと笑い合っていた。
前職の愚痴を言いたいわけじゃなくて、「組織ってある程度の規模になると、こういう構造になるのかもな」と思ったという話。学校でも、職場でも似たようなことが起きていそうだ。もしかしたら、政治家だって党内で似たようなことが起きているのかもしれない。
零細企業だと、ほとんどフリーランスみたいな感覚で「他人より認められたい」なんてことを考えていられない。ライバルのことを考える暇があったら、お客様のことを考える。だから、それぞれが頑張って独立独歩。でも、ちゃんと連携していく。そうじゃないと、やっていられないのだ。
だからこそ、自分の信念を持って「これだ!」と信じられるものに突き進んでいく。そうするより、他に道がないんだよね。
今日も読んでいただきありがとうございます。企業に属するのが当たり前になったのは最近の話。ちょっと前までは「起業する」のが普通だったんだ。ちょっとって言っても100年くらいは経っているけど。
みんなが自分の看板でで勝負していた時代だからこそ、突き抜けた工芸品がそこかしこで生まれていったのかもね。握り寿司も、たぶんそのひとつ。