今日のエッセイ-たろう

みりんを「酒」として飲んだことある? 2025年1月14日

世の中は、思い込みで溢れている。だからといって、日常生活で困ることなんてない。それどころか、思い込みのおかげで“考えずに判断”できるわけだし、場合によっては思わぬイノベーションを起こすこともある。まぁ、それがイノベーションだったと気がつくのは後の時代だということも多いのだけど。

ただ、”もったいない”とは思うのだ。思い込みのせいで、無意識のうちに使い道を制限していることもある。誰でも一度くらいは「その手があったか」と思ったことがあるだろう。まるで斬新なアイデアのように感じるのだけれど、実は”別の誰かの認識がヒントになっていた”ということも少なくない。発想には、そのヒントが必要な場合が多いのだ。

みりんはお酒のジャンル

「みりんは調味料だ」と、ぼくもずいぶんと長いあいだ思い込んでいた。本来「みりんとは酒の一種だ」と知ったのは40才になるころのこと。平均余命がもっと短い時代なら、そろそろ人生も終盤という年齢である。現代だからこそ、まだしばらくは人生が残っているだろうし、その間みりんを酒として楽しむ時間があるわけだ。今という時代に感謝せねばなるまい。

今から170年ほど前、時は幕末、1854年3月のこと。ペリー艦隊の一行をもてなすため、横浜で饗宴が開かれた。この時の様子が日記などの記録に残っている。おそらく、日本最高水準の高級料理がずらりと並び、それはずいぶんと賑やかな宴会だったようだ。
中には楽しくなった日本側の役人がペリーの首に抱きついたという話も伝わっている。酔っ払いの、あれだ。国際問題にならなくてよかった。彼らが飲んでいた酒についても記録がある。
「酒は、日本酒と焼酎、みりんが提供されていたが、アメリカの乗組員は、みりんばかり飲んだ」と。

当時、みりんは酒だと思っていた。確かに高級品で、誰でも手に入れられるようなものではなかったかもしれないけれど、酒であると認識していた。少なくともこの時点では。じゃあ、いつまで「みりん=酒」が常識だったのか。時代を明確に特定するのは難しいけれど、ざっくり戦後のことだ。その頃の”感覚”を祖父に話を聞いておけばよかった。などと思うのだけれど、祖父が他界した頃の私は、こうしたことに興味を持っていなかったのでどうしようもない。

記憶の断絶

1992年の醸造協会誌には「みりん風調味料の存在は知っていても、本みりんの存在を知らない消費者が多かった」と記されている。みりん風調味料というのは、文字通り”調味料”のこと。醤油等と同じように、それを飲もうとは思わないし、飲んでも美味しくない。つまり、飲み物ではないという認識が強まったということだろう。終戦時点で「みりん=酒」が常識だったとしたら、わずか40年ほどで常識が変わってしまったということになる。

世代交代のタイミングで伝わらなかったのか。それとも、社会の階層で分断があったのか。どこかで記憶が伝承されなかったわけだ。個人的には、そのどちらの現象も起きたと思うのだが、少なくとも私は祖父の認識を一部しか引き継いでいない。
例えば、祖父の時代までは野山と共に生活する感覚があった。それがぼくには無い。山へ分け入り、罠や銃を使った猟についていったことはあるけれど、それが本質的にどの様に生活に接続していたのかを体験していないのだ。野生の獣と対立しながらも、集団としては共存していた。その肌感覚を知らない。そうやって、いとも簡単に”当たり前の感覚”は切れてしまう。

別に知らなくたって構わない。というのは、今を生きる我々にとっては、どうということのない感覚なのだ。けれども、”もったいない”という気持ちは薄れない。だって、「みりんは旨い」のだ。旨いみりんを”酒として”飲んでみて欲しい。飲みにくかったら炭酸水で割るのもおすすめだ。そこに少し柑橘を加えても良い。この楽しみを「みりんって飲めるの?ウソでしょ?」という人は、知らないのだ。もしくは、知識として知っていても実際に飲んだことのある人は少ない。こういうのは、実際に飲んでみるに限る。いや、味なんて体験以外でわかりっこないのだから。

その体験こそが、「みりん=酒」が常識だった時代のものなのだ。

「知らない」は、もったいないを生む

直近30年くらいで、お茶はペットボトルに口をつけて飲むことが許容されるようになった。私はその最初の世代である。最初の頃は違和感があったし、今でも”急須で入れたお茶”とは別ものだと思っている。ただそれもいずれは変わっていくのだろう。いや、私が知らないだけで変わっているのかもしれない。
お茶の話をすると、「伝統的な深蒸し茶が良い」という声を聞くこともある。が、これも思い込みだ。深蒸し茶の存在が、それなりに広い範囲で知られるようになったのはバブル期頃の話。かなり新参者だ。実は、ペットボトルのお茶と比べても普及年代はそれほど違わない。

味の体験だけでなく、ぼくが”もったいない”と感じているのはここ。新しい発想が生まれる土台の大きさなのだ。かつてアイザック・ニュートンは「巨人の肩に乗る」と言って、それまでの知の集積を学んだからこそ新たな発見に至ったことを表現した。科学であれば、論文などの書籍が”知の巨人”となるだろう。だけど、日常の知恵や体験は、放って置くと消えていく。だから、かつてあったはずの素晴らしいモノやコトが、つぎの発想への土台になりにくいのだ。
次に進むべき道の選択肢が狭まってしまう。これが”もったいない”のだ。

今日も読んでいただきありがとうございます。

「残す」「伝える」という気持ちがあるかどうか。が結構大切だと思うんだ。日本には日本語以外のたくさんの言語があるんだけど、それも消滅寸前なんだよ。言語っていうのはさ。表現だけじゃなくて、考え方とか世界観と直結しているのね。その言葉を通じてみた世界と、その延長上にある未来っていうのがきっとある。断絶するっていうのは、それが消滅するってこと。で、思い込みっていうのは、時々未来を消滅させる一歩目になることもあるから。⋯なんて、思うわけだ。

タグ

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-,