ガストロノミーという言葉は、一般にはどの程度浸透しているのだろう。たべものラジオを聞いてくださっている方々ならば、聞いたことくらいはあるという人も多いだろう。詳しいことはわからなくても、なんとなくこういうことだよねって思っていることくらいはあるかもしれない。
実は、ぼくもうまく言語化できないんだ。いくつもの言葉を重ねて語ることは出来るかもしれないけれど、自分の言葉で整理しておくことはとても大切だと思う。それに、ヨーロッパで生まれたガストロノミーという考え方を正確に理解したとしても、それがそのまま日本文化にすっぽりとハマるとは限らないと思うんだ。
ということで、時々エッセイの場でも言語化に挑戦していくことにする。で、あわよくば外来語じゃなくて、日本語で端的に表現できれば良いな。始めていく単語でも、日本語なら伝わるってこということもあるじゃない。
語源は古代ギリシア語で消化器を意味するガストロスと、学問を意味するノモスだそうだ。日本語で美食「学」と言われることがあるのだけれど、そもそも学問だったんだね。さて、語源から得られる情報は「学問である」ということくらいなので、他のサイトで語られる定義を集めてみよう。
食事と文化の関係を考察すること。料理を中心として芸術、歴史、科学、社会学など様々な文化的な要素を考える総合的な学問。料理と文化の関係を考える。
ざっと言葉を集めると、こんな感じ。キーワードは食と文化。で、文化という言葉を分解すると、そこには芸術とか歴史とか、科学、社会学などがある、と。
これって、もうたべものラジオそのものじゃないか。
と思ったのだけど、どうにもしっくりこない。なぜだろうか。このあたりに、ぼくが言語化に苦しんでいる理由が潜んでいる気がする。
まず最初に思いつくのは時空の広がり。例えば、なれずしが握り寿司や海苔巻きなどへと分化していったような歴史的時間の流れがある。ゴマが世界をぐるっと旅するように広がっていく長い時間軸での展開もある。一方で、畑を耕し種を植え育て、出荷されたものが手元に届き、料理されて口に入るまでという短い時間軸もある。これは時間でも捉えられるし、場所を移動するという物理的空間の話でもある。
歴史のような長い時間軸で見ると、後者は現代のスナップショット。もっといえば、現代の構造を切り出したものだ。現代のスナップショットの下には幾千もの過去のスナップショットがあって、それぞれの時代の構造がある。この感覚をきれいに言葉で説明できるとよいのだけれど、なんだかうまく説明できている気がしないんだよね。
で、連続するスナップショットを観察するには、いろんな視点が要る。文化もそうなんだけど、経済も影響するし、気候や地理条件も影響する。もちろんアートや科学も思想も言語も。こういうのを連続的に理解していこうと思ったら、あらゆる社会を相対化していかなくちゃいけないんだ。なんだろうな。日本のことを知りたかったら日本の外に出るといい、という感覚。◯◯ではないもの、がわかるから◯◯がよく見える。数学で補集合って言われるやつ。
広く浅くなんだろうけど、学ぶべき情報の幅がとても広い。しかも、これを全部整理して理解しようという試みは、なかなか面倒な作業でもある。でも、遠い外国のことも、昔のことも、商流の川上のこともわかるから、今目の前のことがわかるってものだろう。
ガストロノミーをぼくなりに解釈すると
「様々な文化や社会や環境における食のあり様を知ることで、眼の前の食をわかろうとする」
ってことになるかな。
そうすると、食をもっともっと心と体で味わえる。もちろん、ビジネスなどにも使えるんだけど、まずは「食の楽しみの総量が増える」んだ。よく情報をたべていると表現されるでしょう。たしかにそうなんだけど、ニュアンスがちょっと違うような気がしている。うんちくを楽しむのもあるんだけど、知識があるからこそ食材や料理を、より高い解像度で受け止められるというのが大きいんじゃないかと思うのよ。普段気が付かなかった部分に気がつくようになる、というようなもの。
だから、食を楽しむという意味で「美食学」なんだ。と、理解したんだけど、どうだろうね。
ガストロノミーツーリズムってのは、だいたい産地を巡る旅が多い。それ自体が楽しみであるし、体験することで「食とはなにか」を「わかろうとする」行為なんだ。だから、ツーリズムを設計するときには、参加者の学びや発見を促す仕掛けが大切になるんだろうな。
今日も読んでいただきありがとうございます。わかると楽しいんだよね。学ぶこと自体が本来的に楽しいものだし、学んだからこそ見える世界が変わって見えて面白い。学びって、面倒くさいと思ってしまいがちだけど、これだけクイズ番組があるんだもの。ホントはみんな面白いと感じているはずなんだよね。