今日のエッセイ-たろう

大きな変化が起きているとき、さてどうする? 2025年6月13日

獣が村の近くまで顔を出すようになったら、どうするだろう。村の守りを固めて、狩人や戦士などが討伐に出かけていくかもしれない。

空想上の話ね。

村の剣術道場からは、師範や一人前と認められた剣士が選ばれて討伐隊を組織する。田舎の村には、そう簡単に国の剣士がやってきて討伐してくれることなんて無い。大型のモンスターでも現れようものなら、片田舎の戦力でどうなるものでもないだろうが、増えすぎた獣を間引きするくらいのことは、村で対処する。危険は伴うけれど、それも毎年の恒例行事になっている。

山に入れば多くの獣が生息している。未知のものもいれば、ある程度生態のわかっているものもいる。これだけ近くで暮らしているのだ。それなりに獣の暮らしぶりも知見がある。狩人も山に入って小型の獣を獲っているので、糞や爪とぎの跡、獣道などの情報と目撃情報を組み合わせて、経験に基づいた知見を得ることができる。

しかし、今までに見たこともないし聞いたこともない動きをすることがある。集団で行動するはずの獣が単体で見つかるのは時々あることだが、単独行動している個体がいくつも見つかるのは異常だ。それも、村に近いところまでやってくるとなると、戦う術を持たない村人はひとたまりもない。もし、生態系そのものが大きく変化しているとしたら、討伐隊で対処できるだろうか。今までにない現象に対して、経験に基づいた予測がどれほど役に立つのかはわからない。

かといって、都に拠点を構える国の騎士団が活躍できるかと言うと、それもまた難しい。戦闘力は間違いなく国で一番だ。けれども、周辺の山々の環境や村の暮らしとの関係など、細かな知見はないだろうから、もしかすると村を含めた生態系そのものを変えてしまうかもしれない。その戦力の大きさゆえに、である。

ちょっと、こんな物語を思いついたのは、偶然見かけたアニメの影響だ。別に小説家になりたいわけでもないので、シチュエーションを想定してみただけのこと。

現代社会を理解するのに、一度ファンタジーに置き換えるとどうなるかと思ってね。

例えば、生態系の変化というのは社会変容。今まで通りではない変化が訪れているのは、現代と同じこと。これまでと同じ生活をして、同じように仕事をしていても、対応が難しい。もちろん、これまでの経験が生きることも多いし、身体的直感でしか把握できない事象もある。これは、ビジネスで言えば具体的に関わる人たちのこと。物語で言えば狩人かな。村人は、いつもその経済と密接に関わる人達で、地域の食文化をなんとなく知っていて、なんとなく特産を消費しているような感じ。剣士は、隣接領域だけど、事業によっては協業することもあって、その際には大きな戦力になる人達。

こういうのって、地方にはいっぱいある。これだけグローバルに繋がった社会と言っても、地域内だけで循環する仕事も多いんだ。家の修繕だって、建て替えるのだって、だいたい地元の業者。流通はよくなったものの、やっぱり生鮮食品は域内のものが多い。自然環境や外部との経済の関係が変わると、これらの地域経済も変容する。人の一生では経験することの出来ないほどの変化が起きたとき、判断するために必要な情報が決定的に不足する。

そうしたときに、必要なのは経験の外にある知見と、それを活かすチームワーク。書籍で学んでもいいし、専門家に助力をお願いしても良い。他の地域の経験を持ち寄って検証しても良い。地域には存在しないタイプの会社や、財力のある大手企業など、いろんなプレイヤーとの連携が求められる。

そう、連携が必要。村の事情も知らずに、山の獣を一掃してしまったらどうなるかわからない。村は山やそこに生息する獣たちからの恩恵を受けているかもしれない。そうした事情を一緒に考えて、一緒に取り組む仲間として取り組むのが良い。

今、食を取り巻く状況は大きく変わりつつある。報道は少ないけれど、世界規模で大きな変革期に入った。こんなに工業的に食を取り扱った時代もなければ、それが世界規模で繋がったこともないし、世界人口がこれほどまでに増えたこともない。産業のためのエネルギー不足が心配されているけれど、人間のエネルギーも足りなくなることがわかっている。

このタイミンで何をする必要があるかと言うと、あちこちにいるステークホルダーが繋がること。それから、経験の外側にある知見をかき集めて使える状態にすること。私見ではあるけれど、これが今最も必要なことだと思うんだよ。

これまでの社会が激変してきたときには、王国騎士団みたいなパワーでうわっと変えてきた。騎士みたいに騎士道精神に則っていれば良いけれど、企業というのは一定以上の利益がない事業には手を出しづらい。結果的に、新たな別の社会変容を起こして、再びその対応に迫られる。そういうのを歴史的に繰り返してきている。これは、食の歴史を学べば明白で、世界規模で言えば17世紀以降はそのインパクトが大きくなり続けている。誰か1人とか、企業とか業界というだけではなくて、大きなうねりに見えるんだ。

すっごく面倒だし、すっごく大変だし、もしかしたら利害対立だってあるかもしれないけど、対話する環境整備ってすごく大切だ。そして、みんなが学べる環境も。

有名な社会活動家になりたいなんてこれっぽっちも思わないのだけど、身近にいる人や知り合いといっしょに、貢献していきたいと思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。なんだか、決意表明みたいになっちゃった。まぁ、本音だから良いんだけどね。そうすると、ぼく個人の時間が足りないんだよね。どうしよう。一ヶ月のうち、ほとんどの時間を厨房で過ごしているんだけど、「つなぐ」「まなぶ」「いかす」のどれにも繋がらないんだよ。ぼくも変容が必要なタイミングなんだろうな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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