たべものラジオは、基本的に食材や料理そのものの特徴と、その成り立ちや文化として広がっていく経緯を中心に語る番組だ。いやまぁ、いろいろと寄り道はするのだが。基本コンセプトは、現代の私達が目にする食文化を知ることなのだ。未来を創造するためには今を知る必要があって、今を知るためには過去を知る必要があると思っていて、だから食べ物の歴史を主体にしている。
単純に面白いから調べているという面もあるんだけど、現在から未来の食環境を考えるための材料にしたいという思いもあるのだ。そんなわけで、食べ物そのもののことだけじゃなくて、背景となる周辺のことも勉強する羽目になった。
歴史や化学、生物や気候なども勉強するのだけど、本当に役に立つのが中学生や高校生向けの教科書なんだ。すっかり忘れていて、読みながら思い出してくるような内容もあるし、忘れていたという自覚がないほどに忘れてしまった内容もある。わかったつもりになっていたけれど、理解できていなかったこともある。
小中高と12年間も勉強したはずなんだけど、結構理解できていないことも多い。当時サボっていたというのもあるんだろうけれど、実際のところ結構内容が難しいのだ。だから簡単にしたほうが良いとは微塵も思わないけれど、大人が持っているイメージよりもずっと難しいことを勉強していたということを、改めて思い知らされる。もしかしたら、小中学校で教えてもらう内容を完璧にマスターすれば、それだけでもけっこう学力レベルが高い部類に入るかもしれない。
小学校の内容に関しては、幸運なことに小学生時代にほとんどクリアしたと思う。この頃まではずっと成績が良かったんだよね。中学生くらいになると、だんだんとあやしくなってきて、高校になるとあやふやになる。高校時代の内容って、ちゃんと深く理解しようとすると難しい。
おそらく、学びには体験がセットで必要なのだろうと思っている。小学生の頃に「円周率はどんな大きさでも一定というのが本当かどうかやってみよう」という先生の掛け声で、運動場に大きな円を描いて計算したことがある。当時の先生はこれこそが体験だと誇っていたが、そういうことじゃない。もっとシンプルな話で、例えば時間と距離と速度の勉強をする時に、友達の家に行くときに自転車に乗って約束の時間に遅れたとか、車に乗せてもらって時速100kmという移動感覚を体験したことがあるとか、そういうことだ。
学問の基本は、体験したことの説明だ。と思う。なぜ洗濯物が乾くのか。なぜ肉を焼くとおいしくなるのか。なざ衣服はこんな形になっているのか。なぜ、遥か遠くの食材を食べることが出来るのか。というのは、前提として体験があり、それに対する疑問を持つから。それを説明したり、解釈するための助けとして学問が存在している。そんなふうに感じている。
これを前提として考えると、たぶん中学生や高校生には体験が足りないのかもしれない。どんどん難しくなっていく学問と、体験の量や種類のバランスが取れていない。そんなイメージ。体験がなくても想像力や学習量でカバーすることは出来るのだろうけれど、そんなことが出来る人ばっかりじゃないと思うんだ。いわゆるピンとくるとか腑に落ちるって、体験との接続からくる感覚でしょう。だから、大人になって学び直しをするとピンとくることが増えるのだと思う。圧倒的に体験の量が多いから。
たべものラジオでは、食べ物のことだけじゃなくて歴史や化学の話をしている。学生時代に聞きたかったと言ってくれる人もいるし、僕自身がそう思うこともある。だけど、今やっと理解できるようになったのは半世紀近く生きてきた中で得た体験があるからなんだろうな。少なくとも、ぼくはそうなんだ。だから、体験と学びっていうのは常にセットで、どちらもいい感じのバランスでいられるのが良いのだと思う。
今日も読んでいただきありがとうございます。体験の量が先行して増えていったら、体系的にまとめるなりして座学をやったほうが良い。とにかく体を使って飛び込みの営業をするのもいいけれど、一定の体験が溜まったら整理して学ぶ。頭の中でいろいろ理想を考えられるようになったと思ったら、足りない体験を補うために現場にいく。あー、なんか思い当たることがたくさんあるな。