今日のエッセイ-たろう

整理整頓や掃除が大切なわけ。日本が体現し続けてきが美。 2024年7月6日

「整理整頓、清潔さが大切だ」「掃除が大切だ」という指導を受けたことがある人もいると思う。オフィスで仕事をしていても、工場で働いていても、農業をしていても、飲食店でも。まぁ、一度くらいは聞いたことがあるだろう。

「合理的に」考えようとすると、それはそれでちゃんと理由がある。飛行機の整備をしていたとして、常にキレイな状態になっていればそこに異物があった場合に発見しやすい。道具も必要なときにすぐに取り出しやすいし、道具の状態変化にも気づきやすい。必ず所定の位置に収納しておけば、紛失したことにもすぐに気がつく。飲食店であれば、衛生上の問題もある。少しの汚れはカビや雑菌の発生源になりうるからね。

一方で、しまい込んでしまうとどこにしまったかがわからなくなってしまうので、常に目につくように置いている。と、散らかった部屋を肯定する人もいる。どうせ半日後には使うから、いちいち整理したりしまうのは非効率だ。スペースが有るなら、雑に置くのも丁寧に整理するのも違いはない。こういう「合理的な」理由を聞くこともある。

どちらの言い分も、それぞれの価値観において「合理的」であり、互いに批判し合う関係になりがち。ただ、長い長いあいだ「キレイな方が良い」と言われ続けてきたわけだ。それには、それなりの意味があるから継承されてきたと言えるんじゃないかな。

日本は諸外国と比べて、とてもきれいな国だと言われる。これに関して異論はない。このキレイさや清浄さというのは、具現化した現象のひとつであって、実は思想というか価値観のようなものが根底にあると思う。ぼくの感覚では、美意識。

外出の予定がなくても、衣をかえて居住まいを正す。来訪者がなくても庭先を掃除し、自分のために丁寧にお茶をいれる。毎日、当たり前のように繰り返すことにきちんと向き合って、丁寧に暮らしていく。禅の教えはそういうところにあるんじゃないかと思っている。と、知人の僧侶から聞いたことがある。

ぼくは熱心な仏教徒というわけじゃないけれど、この姿勢がとても心地よく腑に落ちる。老荘思想にも似ていて、神祇信仰の禊の概念とも通じているようにも見える。茶の湯にも共通した意識を感じる。茶道とは言うけれど、ただお茶を入れて飲むだけのことだ。自宅で抹茶を飲みたいだけなら、器を置く位置や所作の流麗さなど考えることはない。煎茶だって、適当に茶葉を急須に入れてお湯を注ぐだけのこと。だけど、ひとつひとつを丁寧に行うこと。行うというのは意識をするということだ。これを重視するのは、茶の湯の思想が禅から生まれたものだからに違いないと思っている。

実用のための道具や動きを突き詰めていく。そこに作為性などなく、ひたすらに突き詰めていく。それこそが美しいというのは、柳宗悦が提唱した民芸にも通じる。食材を混ぜるためのどっしりとした鉢は、分厚くて重量感たっぷりだ。華やかな装飾はないし、可憐さもない。ただ、丁寧に作られていて、日々丁寧に使われているそれには美が宿る。モノにも言えるし、同時に人の所作や行動にも言える。

現代我々に引き継がれている和食は、この思想の延長上にある。和食を定義するのは難しいけれど、ひとつの共通した美意識があって、それに沿って洗練されていく。会席料理だけじゃなく、蕎麦も寿司もおなじ。

だから、「掃除や整理整頓が大事」なのだ。きちんと向き合って丁寧に日常に相対する。それを体得するためのトレーニングとして、うってつけ。茶の湯も座禅も料理もよいのだけれど、最も日常生活にありふれたことだから、そこはきちんとしましょう、とね。

今日も読んでいただきありがとうございます。合理的な判断は、もちろん必要なんだけどさ。それだけじゃないと思うんだよね。何を美しいと感じるかっていうのが、大事。料理屋なんてのは、それを表現し続けているわけだからね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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