今日のエッセイ-たろう

料理のレシピと情報の解像度。2022年12月3日

江戸時代の食文化の展開を眺めていると、書籍という情報媒体がどんなに大きな影響を及ぼしたのかがよく分かる。それまでは、直接誰かから教わるか自ら工夫するより仕方がなかったわけだ。会ったこともない誰かが考えて作ったことのある料理を知ることが出来る。どこの人なのか、どの時代の人なのかすらわからない誰か。それほど距離のある情報に触れられるようになったことは、人類にとってとても大きな革命だったんだよね。しかも、情報を蓄積することが出来るんだから、更に一歩先へと進むこともそれまでに比べたら格段に容易になったはずだ。

現代の情報社会に比べると、あきらかに情報の粒度は荒いんだけど、実はそれが良かったのかもなあ。知の蓄積は進んだし、流通も整ったから、その気になれば誰でも情報にアクセスすることは出来るんだけど。ただ、情報量がずいぶんと増えたもんだから、扱いきれていないんだ。

扱いきれない情報は、そこに存在しないのと一緒だろうな。いや、違うか。その情報を自ら進んで取得して活用とする人はいる。こんな便利な世の中はないといって、どんどん知を吸収して行く人は必ず存在する。だから、格差が生まれるってことになるんだろうな。扱いきれるかどうかは、その情報に触れてみないとわからない。得意かどうかもわからない。いくつかのジャンルの情報に通じている人同士で、それぞれに違った知見を持っている人ならば楽しく会話が出来る。けれども、片方がまったく無い状態だったら、それは成立しないということになるのかな。

あ、努力しなくちゃ駄目じゃないかなんて言うつもりはサラサラ無いよ。そんなのはどっちでもいい。心地よい生き方であればそれで良いのじゃないかと思うんだよね。ただ、互いに馬鹿にするようなことがなければそれでいい。

まぁ、ホントの無知は自分が無知であることに気が付かないってのも、どうやら真実のようだから困ったものだ。最近になって、改めていろいろと勉強しているのだけれど、自分がどんどんバカになっているような気がしている。なんというか。無知であることを突きつけられている気分なんだよね。ということだから、それまでの自分は、もっと無知なわけで。つまり、ぼく自身が自分は無知であるという事実に気がついていなかったわけだ。そんなもんだ。

現代の情報は、かなり充実しているよね。料理を例にすると、江戸時代の料理本よりもかなり精度が高いじゃない。だって、量を正確に把握することもできるし、時間を計ることも出来る。江戸時代には叶わなかったことだ。最も大きな違いは、完成形を知ることが出来るということだろうな。どこかのお店で、そのレシピの料理を提供していれば、容易にそれを食べることが出来る。全く同じじゃなくても、だいたいこんな感じに仕上がるんだなあってなことを体感することが出来る。食べることが出来なくても、動画や写真で仕上がりを見ることが出来る。ゴールをイメージできるということは、それを再現するにあたってはこれほど有利なことはない。

ぼくが思うに、こういった情報の正確性が逆に足かせになっている部分もあるのじゃないかと思っている。もちろん、全てではなくて、ひとつの要因という程度のことだけどね。それは、イノベーションなんだ。

江戸料理本なんてのは、木版画でさ。印刷と言っても手書きのものが複製されるような本。現代に比べたら、かなり情報の精度は低いんだ。実際に、江戸時代の料理を再現しようと豆腐百珍などの料理本を見ても、なかなか難しい。もちろん、そこは料理人なので再現すること自体は可能だ。けれども、それがホントにその時代のものと同じであるという保証はどこにもない。というか、違う可能性のほうがとても高いのだ。当たり前だよね。豆腐だって、同じじゃない。味噌だって、木の芽だって、鰹節だって、みんな同じじゃないんだもの。火加減なんて、どう解釈したものかわからない。書いてないからね。レシピによっては、その言葉の意味するところが何なのかがわからないなんてこともある。現代語訳の時点で難しいのだ。

となると、だ。もう、観察して情報を集めて、勉強して工夫して作り出すしか無い。勉強する内容は料理のことだけじゃ物足りないよね。その時代の状況とか、食材とか好みの傾向、社会情勢や気候も理解したい。そこまでやっても、まぁ結局は完全再現など出来っこないのだ。どうせ出来ない。なぜかというと、その本を記した本人が存在しないのだからだ。正解などわからない。当然と言えば当然だ。

日本各地に持ち込まれて、貸本屋などで情報だけが流通して、その先々で書き写された料理本。たどり着いたその土地には、江戸とは全く違う生活環境が存在しただろう。気候も水も生活習慣も違う。普段の食生活ももちろん違う。性格の地域性もあるだろう。そういったものが、もちこまれた料理のレシピを誤読させる。誤読するから、違うものが生まれる。それでも、料理は美味しく食べたいので、なんとか美味しい状態に仕上げてしまう。現場の努力でもって、勝手にイノベーションが生まれちゃうんだよね。

これは、環境がそうさせるという話だけれど、そうばかりでもない。自らの工夫でイノベーションを起こしてきたケースも実際に見られる。観察と工夫。そういうのが長い間に積み重なって定着したのが郷土料理になっているのだと思うんだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。正確な情報から正確に再現しようとすること自体は悪いことじゃない。だけど、元の形を正確に再現することばかりにとらわれて、料理がうまくいかないなんてもったいないんだよね。情報なんて荒くてよいのだ。結果として、美味しくなって、食べる人が幸せならそれで良い。情報なんてちょっと曖昧なくらいでも十分だ。なんなら、創造性を発揮させるためにわざわざ書かないってことがあっても良いんじゃないかって思うことすらあるよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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