日本の食文化とはなにか。これは、日本の食産業のこれからを考えるときにかなり重要な問いだと思っている。なにを今さら、と思うだろうけれど、いやこれが案外難しいのだ。
ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」というのは、4つの要素で語られている。
多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重。
健康的な食生活を支える栄養バランス。
自然の美しさや季節の移ろいの表現。
正月などの年中行事との密接な関わり。
改めて読み返してみると、よくもまぁこれだけの短い文章にまとめたものだと思う。見事な表現である。
けれども、これがそのまま産業としての「日本の食文化」という看板になりうるかと言うと、商品化や表現に工夫が必要なのだと思う。
なぜ、いま日本における和食の特徴を問い直さなければならないのか。それは、国外の人達から見て、日本の食文化はとても魅力的に見えているからだ。魅力的に見えているということは、なにかしら良いところがあるはずなのだけれど、自分自身でわかっていなければアピールのしようがないのである。それどころか、舶来文化を珍重する傾向が強まっていくと、「届けるべき文化」が消失するリスクすらある。言葉は少々乱暴だけれど、和食とそれを取り巻く文化の「商品価値」を認識しておく必要を感じている。
誰の視点で観測するか。という点であれば、やはり外国人の声を聞くのが良い。いま、訪日外国人の多くが注目していて、押し寄せているのは比較的わかりやすい部分。たとえばスシやラーメンなどの、ファストフードから発展した料理群。それから、植物性食材が多く脂質控えめの健康的な印象だ。これらのわかりやすい料理が、いずれも世界でも類を見ないほどに美味しいというのだ。美味しいというだけならば、世界中のどこにでも美味しいものはあるはずなのだけれど、日本の大きな特徴は「平均値が異常に高い」ことだと言われている。
上記の傾向は、いくつかの情報を組み合わせるとこんなところだろうと勝手にまとめたものだ。もちろん、茶の湯や会席料理、行事食、調理体験などを楽しみにされている方もいるが、ボリュームゾーンがそうなっていそうだなという感覚だ。
さて、これらの状況を踏まえて「日本の食文化とはなにか」という問いである。私達の日常生活や、祖父母などの食生活や、地域の伝統食などと見比べてみよう。本当に文化遺産や訪日観光客が言う「和食」が、日本の食文化と同一だろうか。きっと、どこかに違和感を覚えるに違いない。細かく言語化するのが難しいとしても、なんだかちょっと違うかもなぁくらいの感覚。
実は、認知できないような細やかな感覚は、特有の文化を紡ぎ出す土壌になっているのではないかと思っている。言い換えると、書籍に書き表されないほどに社会に浸透した感性。たべものラジオを制作するにあたって、最も苦心するのはここなのだ。文字に残らなかった、当時の人の感覚。これがたくさん集まって、ゆるやかな大きなうねりとなっている。
その正体を詳らかにするには、一定以上の情報量が必要。とにかく雑多にインプットしていって、その中から「それらしきかけら」をかき集める。というのがセオリーなのだけど、正直なところ産業に落とし込むには時間がかかりすぎる。ここにアカデミアの蓄積が生きてくるはずだ。僕もそれなりに勉強してきたから、通訳や解釈くらいはお手伝いができると思う。
なにしろ人文学を実際の産業に連結するには、それなりの準備がいる。しかも、お客様との接点ともなるとなおさらだ。このとき、お客様は異文化を常識として生きている人たちだ。もちろん、そこに合わせる必要はない。しっかり自身を持って日本らしさを提供するのが良い。ただ寄り添う必要はある。つまり、相手にとってわかる言葉で説明すること。
日本を代表する名著「茶の本」では、シェイクスピアや西欧の文化を引き合いにして、茶の湯の文化を表現した。茶の湯の精神性を題材にして、東洋と西洋の文化的な融合点を探ろうとした。だからこそ、岡倉天心は「The Book of Tea」というタイトルにしたのだという。ご承知の通り英語で「The Book」といえばキリスト教における聖書のことだし、日本では宗教的な書物を経典ということから唐の陸羽が記した「茶経」になぞらえていると本文からもうかがえる。おそらく、西洋の人たちの知っている教養を使って東洋の文化を紹介した最初の本だろう。
いま、必要なのは岡倉天心のように「読み手の視点で語られる日本の食文化」なのだと思う。そのためには日本以外の食文化を知る必要があるし、食文化に限らず文化や慣習を知る必要がある。ついでに言うならば、日本の食文化を見極めるには、日本ではない食文化との対比も必要だ。比類することで、より鮮明に独自の文化が際立ってくることだろう。
と思い至ったのだけれど、これは生半かなことではない。岡倉天心ほどに西洋の文化に精通していて、岡倉天心ほどに日本文化を理解していること。いまから勉強して、どのくらいで到達できるかわからないけれど、挑戦してみようかとは思っている。あまり焦ってもしょうがないのだけれど、でもなるべく早く実現したいところだ。さてさて、ぼくの学習能力がそれに間に合うだろうか。
今日も読んでいただきありがとうございます。先日、弟とこんな話をしていたところ、ひとつ妙案を授けられた。ジブリ映画で例えたらどうか、と。日本の文化を表現しつつ、先行して世界に旅立った日本生のコンテンツ。なるほど。明治の世とは違って、すでに日本文化の一部は世界に進出しているのだった。となると、アニメや映画もはずせないんだろうな。