今日のエッセイ-たろう

漢字の書き取り練習は必要? 2022年9月12日

小学生の宿題に「漢字の書き取り」ってのがある。日本の義務教育を受けた人は、全員やるはず。漢字の書き取り練習の中に、書き順書き取りっていうのがあるんだよね。ひとマスに一画ずつ書いていくやつ。「大」という字だったら、ひとマス目は横棒だけ、ふたマス目は横棒と左ハライってな感じ。この方法自体が本当に効果があるのかは疑問よね。いや、効果はあるんだろうけれど、こんなに手間をかける必要があるのかとは思う。

ところで、感じの書き順を正しく覚えることがどの程度大切なことなのだろうか。手書きの書類を目にしなくなって久しい。オフィスには当たり前にパソコンがあるし、書類のやり取りもほとんど電子化されたもんね。今でも紙の書類を配る会議はたくさんあるけれど、手書きの書類ってことはほどんどない。

そういう時代なのね。

こんな状況で、書き順が正しいかどうかなんて必要なのだろうか。そもそも、字が綺麗であることが求められるのだろうか。

こうして文章を書くときには、キーボードを使って打ち込んでいる方が断然早い。それに、漢字を正確に覚えていなくても、変換すれば良い。誤変換だけ気をつけていれば良い。

さすがに、当分の間は手書き文字が無くなることはないだろうとは思ってるよ。ちょっとメモを取るときなんかは、手書きだし。勉強する時は、手書きのほうが良いという話も聞いたことがある。手書きのほうが、スピードが遅いんだけど、それが良いのよ。自分の思考をまとめるときには、少しスピードを落としたほうが深くなりやすい。

これ、ぼくだけかな。手書きで書きながら考えていくと、思考の速度は強制的にゆっくりになるじゃない。そうすると、寄り道をしながら深いところに思考がめぐりやすい感覚があるんだ。ロー・ミドル・ハイの3段階を使い分けると良いって誰かが言ってたな。そんな感じ。車で言えばローギアに入れて、スピードは遅いけれど力強くなる感覚に似ているかもしれない。喋るスピードも同じことが言えるのかもね。

だから、勉強するときだけは手書きでノートを取る。というのがぼくのスタイル。ホントに遅いけどね。

でね。字が綺麗とか書き順の話に戻るんだけど。

ぼくは、両方とも必要だと思っているんだよ。それは絶対に学んだほうが良い。とすら思っているくらいにね。

字が綺麗な方が素敵だし、なんとなくかっこいいなという気はするよね。アートや美的感覚として純粋に良いなあと思うようなもの。誰かに気持ちを丁寧に伝えたい時なんかも、手書きだといい感じだよね。

それもその通りだと思うんだけど、もっと根幹的な意味で必要だと思うんだ。

なんだかんだと、手書きで文字を書く機会は当分の間はなくならない。状況に合わせて、少しずつ置き換わっていくだけだと思う。まとまった文章なんかは、だいたい電子化しちゃったかな。ブログも原稿もタイピングだしね。逆に、全く電子化していないのはメモ書き。打ち合わせでも、電話を受けたときでも、走り書きは手書きのほうが多いんじゃないかな。しかも、要点だけを書くからもっと良い。手を動かすのが面倒だからって、脳が自動的に要点だけを書き出すようにしてくれているみたいだ。意識せずに要約できるのだから、めっぽう便利じゃんね。

ちょこっと書くという時に、文字がキレイだととても良い。走り書きなのに、ちゃんと読めるから。字が下手な人の走り書きは読めないし、下手をすると書いた本人ですら読み取れないなんてこともある。そもそも、文字というのは、「未来の誰かに情報を伝えるため」に存在している。それが10秒先の未来の自分かもしれないし、3日後の友達かもしれない。情報を伝えるためのツールなのに、情報を読み取りづらいというのは非合理的だと思うんだよね。古代文字や暗号文じゃないんだからさ。時間を懸けずに理解できたほうが良いでしょう。

実は、正しい書き順を覚えるということも同じ文脈で大切だと思っている。実際のところ、どの書き順が正当かどうかはどっちでも良いんだ。時代によって変化するものだしね。ホントは、きれいに書くために都合が良い手順を「正しい書き順」としているんだろうけれど、ぼくが感じている価値はそこだけじゃなくてね。

大切なのは「社会共通のルール」として書き順が存在しているっていうこと、なんだ。

日本語の文字は、行書や草書のようなくずし字が存在している。くずし字に型があるんだよね。なんで型があるかというと、早く書いても誰もが読めるようにルール化したからだ。速記に近いかもね。早く書けて、美しくて読める。だから、それをちゃんと学べばよいのだけれど、現実にはくずし字の型マスターしている人は少ない。

普段、みんなが書いているのは「オリジナルのくずし字」だ。なんとなく手が勝手に省略してしまう。一画ずつ丁寧に書いていたら時間がかかってしょうがないのだもの。それぞれが、それぞれの感性で勝手に崩してしまう。そうなると「未来の誰も読めない」という確立が高くなる。

そこで書き順が大切になるのだ。みんなと同じ書き順で書いていれば、その文字が崩れたり繋がったりしても、多少読みにくかったとしても意味を予測することができるわけだ。筆の運びがわかるだけで、オリジナルのくずし字を読み解く助けになる。

最初に紹介した学習方法が、書き順を学ぶ方法として良いかどうかは疑問だ。けれども、実社会において字を綺麗に書くというのも、書き順通りに書けるというのも、結構役に立っているんだよね。無意識にそうらしいことを、最近家族で実験したところだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。ぼくらの商売は、現代人が想像する「和の中の和」をサービスとして提供するものだ。だから生花とか茶道とかも、それなりには学ぶし、それらと同じ理由で筆文字を練習する。これはまた、別の目的だね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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