今日のエッセイ-たろう

環境から受ける影響が大きい。と改めて考える。 2024年6月16日

地形や環境が変わる。歴史を勉強していると、こうした自然現象がその後の社会に影響した事例を見かける。自然現象だけでなく、人間が自然を改変したことで、のちの時代に影響を残すということもみられる。半世紀ほどの間に顕在化している温暖化も、その事例の一つだ。

昨日までに書き起こした掛川三城物語に登場した横須賀城は、まさに地形が変わったことで経済に影響し、藩政や人々の暮らしにも影響を与えていた。そして、その後の取り組みでは、内陸にある掛川藩ではなし得ないことを行っている。どんなふうに変化したとしても、その地域はその地域だけの「環境」があって、その環境に適応することで生存してきた。社会って自然環境や社会環境に規定されるものだからね。と、偉い哲学者が言っていたな。

少し視野を広げて眺めてみると、東洋と西洋は大きく異なる。とても乱暴に切り分けるなら、湿度が高くてジメジメした東洋と、からりと乾燥した西洋。完全に誤解を招く表現だけれど、まぁ仮にそういう世界だということにしてみる。

食文化だけを考えてみても、これはとんでもなく大きな要因。ジメジメしているところは「カビ」が生える。だから、カビを利用した発酵食品が生まれるし、カビ対策が生活の中でも重要になる。住居はなるべく空気の循環をさせなくちゃいけないし、石造りの建物だと結露がひどくて大変なことになってしまう。木材を中心とした住宅だからこそ生まれた生活スタイルがあって、その暮らしに適応した食品が食べられてきた。とまぁ、そんな具合に連動している。

現代の日本が一つの国としてある程度認識されるようになったのは江戸時代くらいからだろうか。時代を遡れば遡るほど大和は小さくて、大和政権以外の国がある。江戸時代というのは中央集権のようでいて、ほとんどの政治はそれぞれの藩が担っていた。合衆国っぽい側面がある。大まかな方針は出されるのだけれど、それを実践するために必要な具体策や指標などは統一されていない。統一してしまうと、無理が出からだろう。環境が違う。文脈が違う。同じゴールを目指すとしても、取り組みは個別に考えなくちゃいけない。そんなことを考えていたのかどうか走らないけれど、独立国家のように振る舞うとすればそうなるはず。良し悪しの判断は出来ないけれど、現代社会よりは環境文脈に対して柔軟だったようには見える。

数年前から「エコバッグ」というものが流行していて、スーパーマーケットで買い物をするときに利用されるようになった。ビニル袋は有料になったのだけれど、はたして環境にどれほど効果が出ているのだろう。実施したのだから、検証結果も教えてほしいものだ。

欧州などでは紙袋が使われているらしいのだけれど、日本ではそうはいかない。なぜかといえば、湿度が高いからだ。冷凍食品はもちろんだけど、鮮度維持のために冷蔵されている魚や肉や野菜は外気に触れた途端に結露する季節がある。紙袋だったらすぐにボロボロ。だから、買い物袋は有料化して制限をかけたけれど、透明の小分け袋は用意されているわけだ。

ビニル袋があちこちに飛散している社会は全く望まない。海洋動物などが被害にあっていることもあるし、高速道路の高架下に散乱していたり、地面を掘り起こしたときに農機具がビニルに当たる感触は好きではない。ただ、欧州のようにはいかないのだ。だって、環境が違いすぎるから。

近年になってやっと語られるようになってきた「持続可能な開発目標」は、抽象的な表現になっている。それは、具体的するぎるKPIは、その設定次第でいびつな構造を生み出すからなのじゃないだろうか。場所によっては森林資源や環境資源を積極的に使用した方が、よりよい自然環境に寄与するということだってあるかもしれない。

同じKPIで、同じゴールに向かうことが出来る集団の規模というか範囲に上限があるのかな。徒然に書くには、そろそろ思考が重たくなってきた。というところで筆を置くことにするか。

今日も読んでいただきありがとうございます。これが良いよねっていう価値観が、ヨーロッパ的だという考え方はよく聞くよね。歴史用語なんかもほとんど西洋史観だし。中東なんて、日本から見たら全然東じゃない。価値観の押し付け合いってのは不毛だけど、バランスを取るために別の価値観を持っている国や文化の思想を取り入れたら良い気がするな。そういう意味で、日本の伝統的思考も有用なパーツになりうるだろう。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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