今日のエッセイ-たろう

環境に優しい商品のほうが高い。という変な世界。 2024年12月26日

先日開催された「Food Tech Venture Day Neo」というイベントにオンラインで参加した。食の社会システムに変革をもたらすいくつもの企業が登壇し、イノベーションの息吹を感じられる時間だった。

数々の心を動かされる提案の中で、個人的に最も考えさせられたのは冒頭の鼎談。ベースフードの橋本さんが放った一言である。

「そもそも環境負荷が低いモノのほうが低価格、というのが本来の姿。価格が逆転してしまっているのは、どこかに不具合があるからだ。」

きっと多くの人が感じていたことだろうけれど、こうして明快に言語化されると認識がはっきりする。まぁ、人間の認識力なんてそんなものなのだろう。

長期的視点に立って考えれば、環境負荷は低いほうが良いに決まっている。それは、道徳的な発想ではなくて、最も合理的に考えればそうなるはずだ。

例えば、持ち家があったとして、長く快適に住み続けたいならメンテナンスをしたほうが良い。手をかけずに放置して、ボロボロになってからでは修復にコストがかかるから。配管は詰まらないように定期的に掃除したほうがよくて、完全に詰まってしまえば水が溢れて他に被害が及ぶし、修理コストも高い。わざわざ書き出すまでもなく、アタリマエのこと。

お気に入りの靴を長く愛用したいなら、定期的にメンテナンスしたほうが良い。というのは靴好きの理屈になってきているらしい。革靴が好きなぼくとしては残念なことなんだけど、安い靴を買ってどんどん買い替えたほうが安くなることも多いらしい。3万円の靴を10年履くのと、3000円の靴を1年で買い替えるのとでは、等価だというのだ。たしかに1年あたりのコスト「だけ」をみればそうだけど、それ以外の価値を見落としているんじゃないかな。履き心地とか、見た目とか、個人の満足感とか。環境負荷だって、革製品に対する異論はあるものの、使い捨てよりも長く使用したほうが低いと思うのだ。

資本主義というシステムの欠陥のひとつではある。と、経済学や社会学に関するいろんな論で語られている。そうなんだろうな。どうしても、眼の前の経済的利益だけを合理化することになるのは、企業や事業の評価軸が「資本の増加」にあるからね。個人が良いと思うかどうかとは無関係に、この評価軸でしか投資がされにくい傾向にはあるんだろう。

ゲーム理論のように考えれば、利己的に動くよりも利他的であったほうが自分が得するはず。なのだけれど、利他的に動くと淘汰される、というのが近代以降に出来上がった新たなシステム。たしかに、歴史的に見れば不自然ではあるんだよね。もしかしたら、生物的に見ても変なのかもしれないけどね。

こういう社会を懸念したのか、それともあるべき姿を提示しただけなのかは知らないけれど、報徳思想にある「恩送り」は対抗策なのかもしれない。明治期に全国に広がっていったことも示唆深くて、もしかしたらそういう「循環社会」を目指していたのだろうか。

「たらいの水」の逸話は聞いたことがあると思うのだけれど、金次郎は戻って来る水を期待するのではないと言っている。人や村のために何かをしたとして、それが自分のもとに帰ってきてもいいし来なくてもいい。他の人に伝播して、もしかしたら孫子の代に何かしらの形で恩恵があるかもしれない。全ては相対的で、一円の中にある。ぐるっと循環していて、ふわっと良くなればみんなが良いよね。きっと自分もハッピー。そんな感じかな。

理屈で考えれば、当たり前のことなんだけど、そうも言っていられない生活がある。だいたい、ぼくらは「買う」ことでしか食料を手に入れられないのだ。つまり生きていけない。自給自足なら無関係なのだけれど、だからといって誰もが出来るわけじゃない。

江戸時代に、商品経済が発達したことで地方の山間部では「売れる作物」を作って加工販売するようになった。大抵の場合、食料生産にあまり向いていない土地なのである。商品を売ってカネを手に入れて食料を買う。江戸のような都会と同時に、山奥の村でも同じ現象が起きていた。江戸と異なるのは、資本力。エンドユーザーに直接アプローチしている江戸商人のほうが、商流の中で先に貨幣を手に入れるわけだ。貨幣視点で見れば商流の川上にいる。そうすると、農村よりも江戸商人のほうが有利になる。この状況で、山間部の農民は「生活のために」労働を切り売りせざるを得ないのだ。

彼らに、もっと視野を広げて利他的に動くべきだと理を説いても通じないだろう。わかっているけれど、自分たちが生きていくので手一杯なのだ。ちゃんと観測したわけじゃないけれど、現代社会の中にも、同じ構造はあるのじゃないかな。環境負荷が高いのがわかっていても、そちらのほうが安いから購入する。という体験をしたことがある人も多いだろうし。

だから、企業側は頑張って値下げをしなくちゃいけない。そのために頑張って売る。たくさん売れるようになれば価格を下げられる。

この論理は、一般にはあまり知られていない。というか、気がついていないのかもしれない。下手をすると、スタートアップ企業は功利主義で事業を拡大しているに違いないと思い込んでいる人もいる。そういう企業もあるけれど、実は社会課題を解決するためのステップとして、どうやっても事業拡大をしなくちゃいけないケースが有って、いまはその過程にあるということも少なくない。こういうことは、もっと多くの人に知られて欲しい。

結局のところ「愛着」なんだろうなぁ。経済合理性を乗り越えて、しかも理屈ではなく感情で循環社会へと飛び込んでいく。靴の話に戻るけどさ、ぼくが靴の手入れをするのって、結局そのモノに愛着があるからだもの。好きじゃなきゃ続かないと思うんだよね。たべものラジオだって、経済合理性で考えれば淘汰されるはず。ビジネスとして捉えたら、商品を無償提供しているんだもの。で、応援してくれる人に甘える。明らかに変よね。

きっと、何かしらの形で世の中の役に立つはずだ。と思っているからやっているんだけど、やっぱり好きじゃなきゃやってられない。愛着だ。で、だんだんと愛着の対象が広がってきていて、サポーターとかリスナーとか、とにかくたべものラジオの周りに集まる人たちも含まれるようになった。

たらいの水の逸話では、誰に向けて放っているかわからなかったけれど、受け取ってくれる人の顔がわかるようになった感覚。で、なにかを返して欲しいという感覚じゃなくて、恩送りのバトンを渡す相手の顔がわかって嬉しいって感じかな。何かしらの良い影響を供給できているとしてだけど、それが伝播していくのがわかるのも嬉しいよね。

たべものラジオの例が良いかどうかはさておき、愛着っていうのは大切なんだろうな。海が好きとか、生き物が好きとか、なんでも良いんだけど。一方で、好きなもの以外はどうなっても良いということになっちゃうと、またややこしいことになるんだけど。

今日も読んでいただきありがとうございます。愛だろ愛。って、なんだかどこかで聞いた話みたいで照れくさいのだけど、そういうことなんだろうな。で、愛情を向ける先をどうやって広げていくかっていう仕組みが、社会の中に必要だと思うんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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