今日のエッセイ-たろう

落語に見るデコとボコの組み合わせコミュニティ。 2023年3月25日

落語の世界に登場する人物には、ある程度決まった名前と役割が与えられている。熊さんだとか八っつぁんといった名前が登場したら、大抵は大工などの仕事をしている。「あっしは学のある方じゃありませんがね。腕っぷしにはちょいと自信があるんでさぁ」なんてことを言う。人情味があって、思いやりもある。でもどこかそそっかしい。よく勘違いから喧嘩をはじめてしまうのも八っつぁんの役どころ。ところが、誤解が解ければ、「いやぁ、済まないことをしてしまった。面目ねえ」となる。「どうも、そそっかしくていけねぇや。勘弁勘弁」

与太郎というのは、たいていバカの役回りだ。どこかへお使いにやっても、トンチンカンなことをしでかす。誰でも出来るようなことが出来ない。一つのことしか覚えられないので、他のことに注意が向いてしまうと、与えられた指示を忘れてしまう。全く困ったやつだ。なのだけれど、周りの人たちからはちゃんと愛されている。「いいかい。お前さんはおつむの方がお留守なんだから、寄り道なんかしちゃいけないよ。ちゃんと先方に行ったら、挨拶するんだ。やってみな」「こんちわー!」「そうじゃない。大切な取引先の旦那が家を新築したっていうんだ。教えてやるから、ちゃんとその通りに言うんだよ」。

長屋の大家さんは、ガミガミやかましい。どこの誰だかわからないけれど、ご隠居さんという存在は地域の知恵袋だ。なにか困ったことがあると、みんながやってきては知恵を借りるのだ。「実はガキが生またんでさぁ」「それはめでたい。けれど、ガキなんて言い方をするもんじゃないよ。して、男の子かい?」「そりゃあもう、玉のようにめんこい男の子で」「そうか。そいつは良かった。ひとつ、みんなでお祝いしようじゃないか」「いや、ご隠居。今日は子供のことで相談に来たんです。」「なにか、問題でもあるのかい」「いやね。問題があるのはあっしのおつむの方でして、どうもいい名前が思いつかないんです。ここは一つ何か良い知恵は有りませんかね。」「そういうことなら、あすこのお寺の和尚さんに相談してご覧なさい。きっとなにかいい知恵を貸してくれるだろうよ」

ちょこちょこと、思い出しながら話の一部を書いてみたのだが、その方がなんとなく雰囲気やらキャラクターというものがわかり易かろうと思うのだ。少しは伝わるだろうか。

さて、こうした「地域のつながり」というものが、現代ではほとんど見られない。もしかしたら、とっくの昔に崩壊しているのかもしれない。

かつての日本社会は、論語などで語られるような家父長制度があったわけではない。どうも、時代劇を見ているとそのような誤解があるようなのだが、それはあくまでも武士階級だけの話である。日本人のほとんどの庶民は、明治以降に語られるようになった家父長制は取り入れられていなかったのだ。いわゆる家制度である。家を守るために命を張る。そんなものは、江戸時代以前の庶民の意識にはない。現代でも無いようにみえるが、実はちゃんと企業などに見え隠れしている。それは、明治政府によって巧妙に意図的にデザインされた社会構造なのだが。

その代わりに存在していたのが、地域社会の繋がりである。かつての日本では、特定の地域の外へ出ていって生活することが難しかった。そのかわりに、自分自身が生きる地域コミュニティの中で相互扶助の仕組みを作り上げていたという。それが端的に表されている言葉がある。故郷に錦を飾る。

地域コミュニティの支援によって江戸や京都に出ていった若者が、心に秘めた決意が「故郷に錦を飾る」なのだ。都会に出て勉強したり、または商売を立ち上げたりする。その時には、地域コミュニティが協力をしたらしいのである。金銭的な支援であったり、人脈を紹介したり、知恵を貸したり、自分の持ち物を渡したり、何もなくても寄り添って応援したり。だからこそ、血縁コミュニティがなくてもネットワークを作り出すことが出来たし、ネットワークの中で相互扶助が成立していたのだ。

江戸の大衆演芸である落語の世界は、実際の社会をデフォルメしているのかもしれない。登場人物は、それぞれに得意なことも苦手なことも際立って明確である。それでも、お互いにちゃんと尊敬していて、ちゃんと頼る。自分に出来ないものは出来ない。勉強が出来ないんだから、出来るご隠居に知恵を借りる。重い荷物を運べないから、力自慢の熊さんにお願いする。ギスギスしそうな集まりに、与太郎がいるとなんとなく場が和んで、気が抜けてしまう。そんな風にして、デコとボコが組み合わさっているのだ。

現代社会に置き換えてみよう。多くの場合、これが出来ていない。力持ちで、イケメンで、賢くて、愛嬌がある。そんな人物を目指していないだろうか。もちろん、それが悪いことではない。ただ、全員がそれを目指すことは集団を効率的に機能させるためにはコストが高すぎるのだと思う。

運動神経の問題なのか、ついにぼくは蹴上がりが出来ないまま大人になった。学生時代にメチャクチャ練習したけれど、出来なかった。数学は得意だった時期もあるけれど人並みだし、大抵のことは忘れてしまった。けれど、知的好奇心の高さは周囲の友人よりも強いし、つい調べてしまう。そして、論理的に構造を理解して気持ちよくなるという性質がある。それが自分の特性じゃないかと思っている。

一方で、人付き合いはスキルとして身につけはしたものの、元々は得意な訳では無い。研究によって習得しただけのことである。コミュニティを形成することがどうかというアイデアも仕組みを構想することも苦ではないけれど、それをうまく形成するだけの能力が欠けている。だから、それが得意な人に頼むのが良いということになる。

誰かの得意と、誰かの得意を組み合わせる。その方が、チームとしてはとても合理的なのだろう。一部の超人が活躍することも素晴らしいが、そうでない人であっても活躍する場があること。そういったコミュニティを、改めて形成することに価値があるのではないだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。これを実現するためには、どうするのが良いだろうね。互いに認め合うことからはじめなくちゃいけない。学力や経済力という限られたモノサシ以外の指標を共有する必要もある。なにより、ルールや言語を越えた繋がりが自然発生するようなコミュニケーションが土台になりそうだ。というようなことを、日々悶々と考えている。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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