今日のエッセイ-たろう

複数のヒエラルキーをいい意味で楽しむ。 2024年7月13日

妹がダンス教室に通っている。40を越えてからの趣味だ。元々やっていたことがあるわけでもないけれど、興味があったので楽しみとして始めたという。

彼女よりも、中学生や高校生の方がずっと先輩になる。だから、いろいろと彼らから教えてもらうことがあるらしくて、それがとても楽しそうだ。上から目線で言われることもなくて、正直に「出来ない」「わからない」と言っていると、子どもたちがよってたかって教えてくれる。少しでも出来るようになると、一緒に喜んでくれる。子供好きの彼女にとって、最高の環境だ。

ある程度年令を重ねていくと、なかなかこういう環境に出会うことがない。自分は全くの素人で、自分よりも年齢の低い人から教えてもらう。このケースでは年齢だけれど、例えば同じ会社で働く人同士だとして、ダンス素人の部長がダンス教室では若手社員に教えてもらうということもある。そこに会社のヒエラルキーを持ち込まずに、その世界ではその世界の住人になりきる。で、仲良くなる。

「釣りバカ理論」と勝手に呼んでいるのだけれど、個人的に素敵だなと感じている関係性。もちろん、漫画「釣りバカ日誌」のハマちゃんとスーさんの関係からヒントを貰っている。複数のコミュニティに所属していることで、それぞれに異なる関係を結ぶ。で、いい意味で人間同士の関係性を結ぶことで、大社長であるスーさんが万年平社員のハマちゃんのことを大切にしようと考える、というか感じられるようになる。

一つ間違えると、大変なことにはなる。ちゃんと趣味のサポートをしないと、仕事に支障をきたすぞ。という脅しをすることになるかもしれない。そうならないのは、なぜか。それはひとつには、リスペクトがあること。そのリスペクトはどこから来るかと言うと、ダンスが好きだ、釣りが好きだ、といういたってシンプルな感情なのかもしれない。私が好きな趣味をもっとうまくやっていて、とても楽しそうにしている。単純にスゲーなぁと思うことから始まるのかもしれない。

ぼくはダンスをしているわけでもないし、なにか趣味のサークルに所属しているわけでもない。だけど、年齢も所属も関係なく仲の良い友達がいる。ぼくが意見を述べると、スパッと別の角度から切り替えしてくる。かと思えば、ちゃんとリスペクトしてくれるし、好きでいてくれることがわかる。と言葉にすると、ぼくの持っている感覚とはズレてしまうのだけれど、リスペクトし会える友人って良いなと思うわけだ。

一方で、あらゆる場面にヒエラルキーを持ち込もうとする人もいる。何かの地域団体で役職が上だったりすると、そのヒエラルキーを他の部分にも適用してしまう。例えば、まちづくりのためのイベントを企画したり、子ども支援のボランティアを行ったりしていても、上から目線で批判や評価をしてしまうことがあるようだ。その分野において、明らかに専門家でもなければ携わったこともない。なんなら利害関係が全く無くても、そうした声がある。

「専門家じゃなければ口を出してはいけない」などとは思わない。ただちょっとリスペクトをもって接したら良いのに。で、言われた方も「素人は黙ってろ」ではなく、対話ができれば良い。わからない部分は教えてあげればいいし、一緒に考えてくれるなら嬉しい。

こういうのって、世界中のあちこちであるんだろうな。詳しいことはわからないし、歴史を勉強してみても、ぼくが浅く学んだ程度では認識することが出来ない。どうしたらいいのだろうか。仕事とは別に、みんな趣味のサークルに入れば良いのかな。江戸時代の一部の人が、数学の問題を解きあって楽しんでいたみたいに。ああ、もしかしたら俳諧や狂歌、茶の湯なんていうのもサークルだったのかもしれないな。

今日も読んでいただきありがとうございます。もしかして、だけど。信長さんは茶の湯と現実のヒエラルキーを合体させちゃった人なのかもしれないな。で、利休さんは、そうじゃないと反発するような気持ちがあって、あの茶室が出来たのかもしれない。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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