今日のエッセイ-たろう

音声メディアだから見える景色。 2024年2月4日

この頃、音声メディアって良いものだなぁって、改めて感じている。

中学生の頃には、自室で宿題をしたり受験勉強をするときにはローカルラジオ局を聞いていた。お気に入りの深夜番組を聞きたいのに起きていられないようなときには、カセットテープをデッキに放り込んで予約録音をしたものだ。清々しい朝の通学のときも、ぼくだけが深夜テンション。

車を運転するようになってから、しばらくはお気に入りの音楽をかけていた。最初の頃はカセットテープで、自分用のオムニバスを作った。そのうちにCDを再生できるようになり、カーナビが標準搭載されるようになると、車内に流れる音は音楽からテレビへと変わった。

だけど、ドライブを楽しむときにはやっぱり音楽。ぼくにとってテレビっていうのは日常のもの。それを、気持ち良いドライブに持ち込むのもなんだか味気ないと思ったのだ。時代はCDを必要としなくなっていたから、デジタルポータブルオーディオプレイヤーにたくさんの音楽を詰め込んで、ドライブはもちろん通勤も音楽を楽しむ時間に変わっていった。

何がきっかけだったのかは思い出せない。なんとなく、音楽を聞き続けているのが疲れてしまったことがある。車を運転しているとき、運転には集中しているのだけれど、どこかにちょっと気持ちをそらしておきたい。安全運転に必要な集中力を越えた状態で運転するのが疲れるのかもしれない。そういうとき、聞き慣れた音楽があまり助けになってくれない事に気がついた。もしかしたら、一人だったということも原因のひとつかもしれない。

たまたま見つけた落語のCDを数枚購入して、さっそく再生する。これはいい。なにより楽しい。運転中のぼくの顔を見た人は怪訝に思ったかもしれない。ずっとニヤニヤしているのだ。さすがに同じ人の同じ噺をくり返し聞くのはいささかしんどい。その後も落語の音源を追加したのだけれど、少し飽きてきたところでやめた。これ以上続けたら、聞きたくないと思うようになってしまうかもしれなかったから。

もう、何も手元に音を出すものが無くなったとき、ひさしぶりにエンジン音と風の音を聞いた気がした。町中のいろんな音が飛び込んでくる。今でも、運転中はオーディオを消してしまうことも多い。家族が一緒にいるときには、会話をするからなおさらである。

それでも、なんとなくモノ恋しくなって、音を聞きたくなったとき。ぼくは、ラジオのスイッチを入れる。なんだかとても近い。視線は窓の外に向けられていて、道路や標識や並行して走る車の姿を捉えている。なのに、ちゃんと姿が見えるような気がした。声しか知らない人の表情や、話している姿が見える。語られる世界観や景色、いきいきと動き出す登場人物。

いつだったか、落語の話し方についてこんなことを聞いた。演じるときには、あんまり詳しくやらねぇんだ。リアリティが過ぎると、もう余白が無くなっちまうから。ラジオっていうのは、似たようなところがあるのだろう。

見えないからこそ、聞き手が少し頑張って想像力を働かせる。そうして見えてきた景色は、他の誰とも同じじゃなくて、自分だけのものなんだ。だから、距離が近いと感じられるのかもしれない。

ぼくなんかは、つい余計にたくさん話してしまうし、情報を詰め込んでしまう。もし、時間があってスキルがあって、動画を作り込んだら大変なことになってしまうかもしれない。音声メディアだからこそ、強制的に情報量を減らすことが出来ている。その分、リスナーの皆さんが塑像力を働かせる。で、それが自分のモノになっていく。それが、なんだかとっても良いんだよなぁ。

今日も読んでくれてありがとうございます。書きながら気がついたんだけど、ラジオよりも前に音声メディアを楽しんでいたんだよ。それは幼少期に見ていた落語であり、ばあちゃんが読み聞かせてくれた物語。おむすびコロリンで落っこちた穴の中は、なんだかワクワクする景色だったな。全部ぼくの想像だけど、とても好きだったよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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