今日のエッセイ-たろう

食ビジネスと健康 2022年8月8日

昨日の話の続きを不意に思いついた。面白いよねえ。書き終わってから、ぼーっと仕込みしてたらさ。急に思いつくんだもの。思考を寝かせるというか、熟成させるってこういう感じなんだろうな。深いことを思いついたわけじゃないのだけれど、備忘録として書いてみようと思う。

食ビジネスのはなしだ。

外食が多いと、栄養が偏るとか塩分や脂質が多くなりすぎる。と、そんなことを言われている。実際にそうなのだろう。どんなエビデンスがあるのか、一次ソースにあたってないのでわからない。けれども、多くの書籍で同様のことが述べられているのだから、それなりに論拠があるのだろうと推測する。

ということで、これを前提に話すね。

外食産業というのは、あくまでも料理を商品としてお金を儲けるためのビジネスだ。とても極端だけれど、儲かれば良い、売れれば良いという発想になってもなんら不思議はない。肯定しているわけじゃないよ。売れるものを作るのはモノづくりの基本なわけだから、原理的にそちらの方向へ進む力学が常に働くことになるよねというはなし。

だからといって、あからさまに健康を害するものを販売するわけにもいかない。コカ・コーラ社が必死になって「コカ・コーラは音の響きが良いという理由でつけられた名前で、決してコカインは入っていないし、使ったこともない」と説明している。そりゃそうだ。コカインが入っているとなったら、売れない。でも、これ嘘なんだよね。今は使っていないけれど、元々コカ・コーラは漢方薬で、その主原料はコカの葉とコーラの実。コカの葉ってコカインの原料ね。栄養ドリンクっぽい売出しだったかな。このドリンクめちゃくちゃ効く。飲めばすぐに疲れが吹っ飛。コカイン入っているからね。当たり前だ。

従来の外食産業では、売れるための要素は決まっていた。ウマイこと。これのみだ。そして、ウマイというのは、純粋な料理の追求じゃなくても良い。売れるための「ウマイ」が存在している。メチャクチャわかりやすく言えば「甘いもの」は売れるのだ。18世紀~20世紀の世界中の外食では甘いものをどのように生み出すのかという思想がたくさん見られる。

逆にしょっぱいとか酸っぱいも売れる。えっとね。正確には濃い味が売りやすい。これは、消費者の大半が労働者だからだ。貴族のような働き方でない限り、基本的には汗をかく。特にブルーカラーはそうだよね。汗をかくと塩分が排出されてしまうので、少し塩辛いくらいのほうが美味しく感じる。不足しているナトリウムを摂取したいからだ。さらに、エネルギーも少なくなっているから、すぐにエネルギーとして吸収しやすい糖質も喜ばれる。疲れたからだにはクエン酸などの酸味は、疲労回復効果がある。こういうのが重なったところに発生するのが「売れる外食産業」だ。

これは、あくまでもぼく個人の見解。そのうちに変わるかもしれないけど、今のところそうだと思っているということね。

さて、このようなスタイルが外食産業の中心を担ってきたとする。それでも問題なかったわけだ。健康上の問題はあまり気にされなかった。なぜだろうか。もしかしたら、家庭料理が影響しているのではないだろうか。あくまでも日本においてはという条件がつくのだけれど、昭和期は現代に比べて自炊比率が高かったことが分かっている。まれに外食する程度。まず自炊と外食の比率が違う。

それから、自炊にかける労力にも変化があるのではないだろうか。現代人の方が食事を作る時間が短いと思われがちだけれど、実はそうでもない。男女共同参画社会なんてものは、既に江戸時代にはあった。だから、食事を作るのは大変なのだ。しかも、家電製品が発達しているわけでもないし、冷凍食品も生鮮食品もそれを支えるコールドチェーンも未整備だ。便利調理なんてことはできない。必然的に、素材を生かした食事にならざるをえない。食材の味が全面に出るような料理を毎日食べる。自宅で食事をする。すると、人間の味覚はそちらに寄せられていく。つまり素材そのものの味に敏感になる。

素材の味に敏感であるということは、結果として体の声を聞き取りやすくなる。いま体が必要としている栄養素を感じる。論理ではなくて、直感的に感じる。

このような状態で、たまに外食するのは全く問題ない。多少糖質や塩分や脂質が多すぎる食事出会ったとしても、次の食事で調整してしまうからだ。だいたい、外食は「たまに」だから、健康への影響は少ない。

こうした背景に乗っていたからこそ、「売れるためのウマイ」を中心とした外食でも問題ないということになる。

さて、現在では「売れるためのウマイ」は、糖質でも脂質でも濃い味でもない。それも残ってい入るけれど、違う要素が加わってきた。薄味、糖質オフ、減塩、低カロリーなどの健康志向。外食の機会がとても多くなった結果だろう。特に、加工食品類は顕著である。効果がなくてもギルティーフリーというだけで売れる。罪悪感が少ないだけで良いという思考方法。良くわからないことになっている。

一方で、あえてギルティなものもバズる。めちゃくちゃ甘いクリームたっぷりのパンケーキとかね。

会席料理店は、比較的こういったムーブメントには疎い。いや、わかっていてもその流れに乗らない店が多い。まず、1週間に1回以上料亭に通うという人はごく少数である。多少糖質過多になったところで、それは気にしない。むしろ、ハレの席として必要な演出であれば砂糖を使う。その分はほかの日常でリカバリー出来るはずだからだ、という思考がある。あと、伝統的な会席料理の場合は、野菜や魚を中心としているので、脂質に関してあまり考える必要がない。アメリカのように肥満が社会課題になるようなことは想定していないのだ。

すべての日本料理や会席料理が素晴らしいということを言いたいわけではない。食べる機会が少ないのだから、料亭が健康に気を使った料理を作っても、人体に与える影響力が小さいということだ。健康に配慮することで、楽しみが損なわれるくらいなら、適度に加減する。体と心の健康の両面を見た場合、その方がトータルで良いということになるのではないか。

さてと。これも考え直さなくちゃいけないのだ。それは、社会が変わってきたからだ。家庭料理の中にも冷凍食品や、加工食品が多く使われるようになった。健康に配慮したものなら良いのだけれど、儲かるベースの食品が中心になるケースも有る。自炊よりも外食のほうが多くなっているという人もいて、それは昭和時代よりもずっと増えているそうだ。だからこそ、日常品としての食事を扱う場合には、その顧客の健康を考えて料理を作る必要が出てきている。

ただし、個人個人にカスタマイズすることは難しい。家族じゃないのだ。名前も知らない他人の体のことまでは把握しようがない。よっぽど常連出ない限りは難しい。それに、個別対応はコストがかかる。他の人と同じに出来ない分だけ、別で作らなければならない。一人ひとりに合わせて献立を変えるのは、日常食としては経済合理性に合わないわけだ。

現時点での解決策は次のようになる。ちゃんと食と体について学び、自炊でパーソナライゼーションされた食事を食べる。または、「面倒くさいの代行」として外食を選ぶが、その分の対価を捻出する。という二択になる。これからフードテクノロジーの進歩とともに、これは変わるだろう。

ポイントは、「日常食とハレ」「体とこころの健康」になるのかな。2つの軸を設けて、少し長めの時間軸でバランスを取ることだろう。だいたい1週間くらいのスパンで見て、なんとなくバランスが取れていれば良い。1食ごとにバランスを完璧にしようとすると、無理が出るからね。だから、そのためにホモ・サピエンスは雑食なのだ。活用しない手はない。

今日も読んでくれてありがとうございます。こういう話をすると、つい長くなるな。今日の話の大切なところは、バランスなのだけど。そのバランスはどの軸で見るのが良いかということなんだろうね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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