この10年ほどの間に、わずかに変化が現れたものがある。たぶん、ほとんどの人は気が付かないし、気がついたとしても気にもとめないだろうという程度の変化。なに、大したことではない。飲食店を予約するときの「名前」のことだ。
正確に言えば、接待などの「法人利用」で予約をされる際、「個人名」での予約が増えている。以前ならば企業名で予約をいただいていたのだけれど、なぜか個人名。当店の場合、電話やメールで予約していただくことが多いのだけれど、その担当者名であることが増えてきている。
法人名であろうと個人名であろうと、さほど大きく困ることはない。電話ならば、たいてい話の流れで「ははぁ、これは企業の接待だな」と察することもできる。
細かいことを言えば、設えや献立に影響があるし、食事が始まる前の段取りなどに違いがあることはある。けれども、ぼくらも慣れっこになっているから、ある程度は順応して対応できるので、大した問題ではない。
ただ、気になるだけ。
純粋に、変化をおもしろいと思うし、不思議だと思うだけのこと。
ちょっと想像を巡らせてみよう。
僕自身が企業に勤めていたころのことだ。部や課の懇親会では、たいていの場合個人名で予約されていた。よほどの大人数でない限りは。例えば、10名も集まらないような飲み会で、しかもチームメンバーだけの集まりだったら、企業名を名乗るのはちょっとばかり大袈裟じゃないかという感覚があった。これは、所属していた企業がそれなりに知名度もあり、規模も大きかったからかもしれない。社内の仲間で飲みに行くだけなのに、企業名を名乗るなんて恐れ多いという気持ちもあるだろう。
総務や秘書が企業を代表して接待の段取りをすることがある。この場合は確実に法人名での予約となる。前職では、総務でも秘書でもなかったけれど、取引先との食事会をセッティングしたこともあって、そのときは法人名で予約していたかな。たぶん、後輩もそうしていたはずだ。
企業と企業、それも会社のお金で行う食事会。というのが、なんとなく公式っぽい感覚を与えているように思う。こういう公式の場であればこそ、法人名を「名乗る」のが自然に感じられたのだろう。
もしかしたら、こうした「公式感」のようなものと、私的なものの境目が揺らいでいるのかもしれない。属人的なものではあるのだろうけど、それにしても全体的に増加傾向であるのだから、なにかしら社会や文化の変容があるのだろうとも思う。
さてさて、それは一体なんだろうか。
単純に考えれば、先達から引き継がれていないだけということもありうる。コロナ禍や接待控えの時期に、接待を経験した人の数が大いに減った。その結果、接待の段取りをうまくやっていた人たちは管理職になり、新たに段取りを任された新人との間にはいくつもの階層が出来てしまった。一度、タスキが途切れたのかもしれない。
これは確かにありそうだ。接待、饗応の場における立ち居振る舞いは、先輩たちの姿を見て学ぶことが多いという。先輩たちの姿を見ないままに自分が饗応の主役となるのならば、我流になってしまうということもあるだろう。
ちょっと別の角度から考えると、匿名性の浸透もあるかもしれない。SNSなどを社会的に捉えたときに言われることだけれど、現代では自分が何者か特定されないことや、なるべく波風を立てないように「工夫」される傾向があるらしい。個人名を出しているのだから匿名性もなにもあったものじゃないのだけれど、企業名を出さないという匿名性のために「差し当たって関係無さそうな個人」を記録する。そんな感覚も働いているのだろうか。
特に答えがあるわけではないけれど、いずれにしても興味深い現象だ。どうして変化が起こったのか、誰か思い当たることや、考えついたことがあったらシェアしてほしい。
今日も読んでいただきありがとうございます。ホントに大したことじゃないんだけどね。気になっちゃってさ。食文化の歴史を探求していると、こういう微細な習慣の変化が気になるんだよ。長期間続くと、思わぬところで思わぬ変化に繋がったりしてさ。
まぁ、実務レベルでは法人利用のときは法人名で予約してほしいけどね。慣れているとは言え、対応を修正するのは事実なので、予めわかって準備できたほうがありがたいから。