今日のエッセイ-たろう

3Dフードプリンターのある未来〜コピーから始まる進化のうねり 2025年9月3日

最近はすっかり出番が減ったが、事務所には“複合機”が置いてある。「プリンター」「コピー機」「スキャナー」「ファクシミリ」が、一台でできるアレだ。

複合機の機能の歴史

複合機の機能の中で、一番最初に世の中に登場したのはコピー機だ。世界で初めて事務機器として使われたものは、1779年に発明されたのだそうだ。発明したのは、蒸気機関の改良で知られるジェームズ・ワット。ハンドルを回して使うようなアナログなものだったけど、これがよく売れて、20世紀まで利用されてきた。

ファクシミリが発明されたのは1843年で、実用化は1920年代以降のこと。PCプリンターやスキャナーが実用化されるには、コンピューターが普及しなければならない。登場が70年代、普及が90年代といったところだ。コピー機に比べるとずいぶんと新しい。
こうしてみると、複合機の中身もそれぞれに歴史があるものだ。

近年になって注目されているのは3Dプリンター。基礎技術は1980年に小玉秀男氏によって発明された。その後、アメリカで実用化が始まって普及への道が開かれることになった。そして、一般家庭に登場するようになったのは、つい先ごろのことだ。
新しい機器というのは、発明されてから社会に普及するまでに、ずいぶん時間がかかるものだ。

複写への夢

それぞれの歴史を比べてみると、最初にニーズが認められたのは“複写”だ。グーテンベルクが活版印刷技術を広めたのは15世紀のことだけど、そもそも活版印刷技術の基礎は少なくとも11世紀の中国で行われていたことがわかっている。浮世絵などで知られる木版印刷技術は7世紀にまで遡るらしい。

誰かが描いた絵や書を書き写すのは、とても手間がかかる。活版印刷のように「“読む”という機能さえ満たされていれば良い」という複写もあるのだが、絵などのアートのように「形状の完全コピー」でなければ意味をなさない複写もある。いずれにしても、人類は長い間“完全な複写”に夢を抱いていたのだろう。

新技術の活用

3Dプリンターは、食の分野でも注目されている。「3Dフードプリンター」である。この新しいテクノロジーは、一体どんな未来を切り開くのだろう。

この新たなテクノロジーの登場によって、食品の自由度は劇的に向上することになる。人間の手では造形が難しいデザインが可能になるのだ。例えば、チョコレートはスナックと組み合わせなくてもサクサクとした食感を生み出すことが出来るようになるかもしれない。今までは包み込むことが出来なかった食材を包むことが出来るようになるかもしれない。また、デザインの幅も大きく広がることだろう。

話を聞いただけでも料理人としてはワクワクせずにはいられない。だけど、3Dフードプリンターが普及しないことには話が進まない。まるで電子レンジのように普及すれば、誰もが手軽に使うことが出来るようになるのだ。一部の素晴らしいクリエイターが考え出す料理も素晴らしいのだけど、料理の新定番が登場するときは、だいたい市井の中からひょっこりと顔を出すものだ。一般家庭とまではいかなくても、多くの飲食店で使用される程度には広まることが望ましいと思っている。

フードプリンターで複写する

昨年、山形大学の古川教授と、宮城大学の石川教授とお話をする機会をいただいた。お二人との会話の中で、ぼくが最も興味を持ったのは“握り寿司”である。未来の妄想の話だ。たとえば、一流の寿司職人の握り寿司を分子レベルでスキャンして保存しておく。そして、データさえあればどこでも完全に再現することが出来る。それが遠い国でも、移動中の飛行機の中であっても。

分子レベルまで再現が可能になるのか、というのはぼくには想像もできない話だが、可能ならばとてもおもしろい。例えば、亡くなった祖母の味噌汁を、レシピではなく完全に複写することが出来てしまうというのだ。

失うことで生まれる物語や情緒があるのは、もちろん承知している。一定の配慮は必要だと思うが、外食産業やデリバリーは一変することになるだろう。もしかしたら、料理人は元素材としての料理を作る存在になるかもしれないのだ。これまで通りの料理人としての役割は残り続けるだろうと信じているが、そうした新たな役割を社会の中で担うことになることも考えられる。交通の便の悪い地域で、まともに外食を楽しむことの出来ない人にとっては嬉しいサービスになるだろう。それに、遠く離れた地域に住む家族に手料理を振る舞うという、人との繋がりの新しい形になりうるかもしれない。

まずは、コピー機としての機能を求めているのではないだろうか。そして、それが最も“わかりやすい”のだ。わかりやすくて受け入れられやすいサービスから広がっていく。そんなイメージをもったのは、複合機のコピー機能の歴史に思いを馳せたからだろう。この場合は、どれだけ本物に近づけられるかという挑戦に挑むことになる。それは、コピー機の宿命と言える。

アレンジの積み重ね

そのうち、握り寿司の形を変えずに素材だけを入れ替えるようになるかもしれない。
シャリの原料をこんにゃくに置き換えたり、マグロをフルーツに置き換えたりと自由自在だ。こんにゃく由来の米粒状のものは作れても、現状ではそれを握り寿司の形に握るのは至難の業だ。味噌汁は、パンプキンスープに置き換えられるかもしれない。

やがて、現代人には想像もつかないアレンジが加えられ、ときに“惜しい”失敗をすることもあるだろう。そのときになって、元データの改良が必要になる。なんて、流れも生まれるはずだ。現在食べられている料理も、元はと言えばなにかの置き換えだというものも少なくない。ただ、置き換えてみたらちょっとばかり不都合があって、イマイチ美味しくないこともある。そば切りも、もとはそんな状態で、うどんやそうめんのようにつるりとした食感を得ることは出来なかったのだ。だから、うどんやそうめんには必要なかったはずの、“蕎麦のための改良”が行われていく。

3Dフードプリンターが普及した後の世界ならば、きっとどこかの誰かがいろんなことをやり始める。一足飛びに大胆な変革を起こすこともあるかもしれないけれど、その多くは前述のような“少しばかり”の変化だ。だけど、変化をいくつも積み重ねていくうちに、その料理の源流が何だったのかわからなくなるほどに別物へと生まれ変わっていくのである。「手持ち花火がパチパチとはじけるスシロール」の源流が発酵食品だったとは気が付かないのと同じである。

食の未来

3Dフードプリンターは、いつしかぼくらの食卓を大きく変えるだろうと思う。一足飛びのイノベーションも楽しいのだが、少しずつ変化していく様子を体験するのも人生の楽しみではないだろうか。少しばかりのんびりしてるように思えるかもしれないけど、そのくらいの心持ちでいるのも悪くはない。

古川教授はこんな事を言っていた。
「今までは社会で売れそうなものを狙って商品にして、大量生産で安く売ってきた。これによって失われた“手のぬくもり”や“作った人の思い”を、3Dフードプリンターによって表現できるようになる。」
ぼくは、これが大切な感覚だと思うんだ。テクノロジーって、どちらの方向にも加速させる道具になることが出来る。だからこそ、開発する人のこの思いを汲み取って社会の中に置いておきたい。「そもそも、この技術で目指した世界ってなんだったけ?」って、振り返ることが出来るように。

今日も読んでいただきありがとうございます。

食みたいなジャンルは、だいたい頑固なんだよ。そう簡単に認知は変わらない。だから、既存のものからちょっと逸脱するくらいの変化が“受け入れられやすい”と思うんだ。コピーを繰り返していく間に、時々エラーを起こす。それはまるで、生物の進化みたいだ。食の歴史を勉強してみると、そんなふうに見えるんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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