激動の時代って、ホントにあるんだよね。今この瞬間もそうだと言えるのかもしれないけれど、案外当事者は自覚が薄くて、後世の人が歴史として観察したときにはっきり見える。ということが多いような気がする。ちゃんと自覚できたほうが良いのだけど、それって簡単なことじゃなくて、現代社会を過去の事例と見比べながら観察しなくちゃいけない。
一応ぼくなりにポイントが有って、「価値観が大きく変わるタイミング」というのを激動の時代と解釈することにしている。
事例を上げたらキリがない。古代から現代までの間に、ぼくが知っているだけでもたくさんある。近い時代だと産業革命以降の社会がわかりやすい。それまでのモノづくりは、手作りがベースになっている。どれほどシステマチックに組織を整えても、やっぱり人力に頼る部分が大きかった。だから、なるべく質を安定させようとしていてもやはりどこかに揺らぎがあって、大量生産をしようとしても一定期間内に提供できる量には限界があった。均質的な商品を大量に生み出す。これが産業革命で起きた大きな変化のひとつで、これによって価値観が大きく変わっちゃった。
たくさん作ってたくさん売る。どれを買ってもそれほど個体差がないから、みんなが似たような暮らしを送るようになる。大量の商品を売りさばくには、それを買う人がたくさんいなくちゃいけない。だから、商圏を広げて遠くまで送り届けなくちゃいかない。物流も発達したし、植民地を獲得するようになり、気がつけば「作る」「使う」よりも「売る」に意識の比重を置くようになっていった。そして、早く作ることが至上命題のようになっていく。大量に作ると言っても数年かけて1万個作るのではなく、数日のうちに出荷して現金に変えることが大量生産なのだ。列車や自動車、飛行機などが登場して、早いことが良いことだという価値観が確立していく。そして、変化が早いことを喜ぶようになった。ドンドン変わる社会の姿は、実にスリリングに見えただろう。沸き立つ社会は、人の心をスリリングを求めるように後押しするのだった。
19世紀初頭の世界は、この影響を受けて人々の価値観が大きく揺らいだ時期だっただろう。日本で言えば、明治の終わりごろから大正にかけて。食事をするときにはお膳に代わってちゃぶ台が使われ始め、食事中に会話をするようになった。それまでは黙食が当たり前だったし、発話するとしても家長であるお父さんくらいのものだった。工業化が進んで、お父さんが長時間働くようになる。その代わりに、お母さんが家事を担当するようになった。明確な夫婦の役割分担が登場したのもこの頃。お父さんが家を留守にする時間が長くなって、お父さん抜きでの会話が当たり前になっていく。その結果、食事中の話題はお母さんと子どもが中心になって繰り広げられるようになった。いつの間にか、これこそが伝統的な家庭像だと思いこむようになってしまう。家庭という単語そのものが舶来語の翻訳だということも気が付かないままに。
世界にBGMがあるとしたら、アップテンポでスリリングな展開が楽しい曲調に切り替わった時代。ソナタのような繰り返しの多いゆったりした音楽よりも、踊りだしたくなる音楽がぴったり来る。そして、それに見合った演奏方法やファッションが登場するかのように、人々の生活も意識も変わっていった。
アメリカの食産業も激動だった。ケロッグ、ヘインズ、マクドナルド、コカ・コーラなど、多くの工場生産食品が登場。人々の暮らしが変わったからこそ生まれた食文化だったし、これらの食品の登場によって人々の生活習慣も変化した。
悪法として知られる「禁酒法」があったのも、1920年〜1933年のこと。元はといえば敬虔な一部のプロテスタントが起こした禁酒運動だったらしい。半世紀ほどの時をかけて徐々に勢力が大きくなり、ついに1917年に連邦議会で決議された。アメリカのビール会社のほとんどはアンハイザー・ブッシュやクアーズと言ったドイツ系。ちょうど第一次世界大戦の最中で、ドイツのUボートという潜水艦がアメリカ民間人を乗せた商船を撃沈させた。このことから国内で反ドイツの機運が高まってビールが悪の象徴になってしまった。これが禁酒法を後押しすることになったのだ。
禁酒法によって、多くの酒場や酒造場が大打撃を受けた。ソーダファウンテンやカフェに鞍替えした店もあったけど、何万もの酒場はもぐり営業を行うようになった。面白いことに、酒の消費量は禁酒法以前に比べて10%ほど増加したし、アルコール中毒患者も増加した。医療用アルコールは対象外になったけれど、それも飲まれるようになる。政府としては禁止したいのだけれど、政府予算がなくて取締の人員を用意することが出来ない。なにしろ、税収のなかで一番大きなウェイトを締めていたのが酒税だったのだから、金がなくなるのも無理はない。しょうがないから、医療用や工業用のアルコールに毒性物質を混入して飲めないようにしたのだ。そしたら、今度はそれを知らない人たちが毒入りの酒を飲んでしまい、数万人が命を落とした。
週末になると、メキシコやカナダ、キューバなどへ出かけていった人達もいる。おかげでアメリカ周辺国の醸造所は売上を大きく伸ばすことになった。そうした国外の酒が密輸されるようになって、アル・カポネのようなギャングが酒の密売で勢力を伸ばしていった。当時、アル・カポネを捉えることは実質上不可能だと思われていたのだけど、それは多くの警察官が賄賂を受け取っていたからだという。普段なら賄賂を受け取らないような人だったとしても、一度法律違反を犯すと、だんだん賄賂を受け取るようになっていくのだ。国民のほとんどがまともに取り合わなかった禁酒法のおかげで、多くのアメリカ国民が法令を守らないというクセがついてしまった。悪法なのだから仕方がないじゃないか。多くの人が反対していて守っていないのに、自分だけが遵守するなんてバカバカしい。
かつては敬虔なピューリタンが多かったアメリカ。どちらかというと、地味で生真面目な人たちが多く、それこそがアメリカらしさだった。ところが、禁酒法の影響は凄まじく、言葉を選ばずにいえば「ルーズなアメリカ」を生み出すことになった。
なぜ、禁酒法が守られなかったのか。それは、時代がアップテンポだったからだろうと思う。例えば、ライブハウスでノリノリになって楽しんでいるところに、「拍手禁止。ノリノリで体を動かさないで。ほらそこ踊らない!ちゃんと椅子に座って姿勢良く鑑賞しなさい!!」という謎ルールが出来たイメージ。「そんなのやってられるか!」と反発されるだろう。そして、一度カウンターアクションが起きたら、禁止する以前よりも場が荒れてしまった。放っておいても事故など起きなかったのに、下手に禁足したことで事故が起きやすい環境を生み出してしまったのだ。
今日も読んでいただきありがとうございます。禁酒法の話をすると、面白がってくれる人が多い。後の時代から見ると滑稽なのだ。なんでそんな変なことしたんだろう。当時の人って、頭が悪いんじゃないか。なんて言う人もいるけれど、そうじゃないんだよね。その時代に生きていて、エコーチェンバーの中にいるとわからなくなるのよ。自分の周りや社会を見渡してみたら、もしかすると禁酒法のようなことが起きていて、将来に渡って影響を与えるかもしれないよ。