今日のエッセイ-たろう

連休を分散取得するとどうなるんだろう。 2025年5月7日

ゴールデンウィークは、例年通り仕事をしていた。多くの人が休日を過ごしている間に働くのが当たり前の生活を送っていると、いまさらみなさんと同じように休みたいとは思わなくなってくる。ぼくらの休日は、大抵の場合どこに出かけていっても人が少なくて過ごしやすい。人混みを避けられるのは利点といえば利点だ。

弱点があるとすれば、週末限定のイベントやセールと無縁であること。そして、子どもたちと一緒に過ごす時間が限られること。

休みの分散取得を押す声がある。客商売は軒並み人手不足が課題になっているのだけれど、それは来客が集中した時の話。忙しいからと言って人を雇用しても、人手がほしいのは限られた期間だけなのだ。暇な日には仕事が少なくなり、雇用を守るのが難しくなる。

例えば、週末には10のパワーが必要だけれど、平日は3のパワーでこと足りる。となれば、週末に合わせた体制を組めば、平日には7の無駄が発生してしまうという。だから、常に5であれば、労働の需給バランスが取れるというわけだ。だから、休日の分散取得をしようというアイデアがある。

仕事の面だけみれば、そのとおりなんだけどね。じゃあ、子育て世代はどうするのよ、とは思う。学校の休みが土日祝日なのだから、家族で過ごす時間を作ろうと思ったら親の休みも集中することになる。団らんのためでもあるし、子どものケアが必要な時間でもある。

大人が大型連休を分散取得したとして、「今日から5連休だから家族で旅行に行こう」となった場合、子どもは学校を休むことになる。ぼくが子供の頃はまさにこんな感じ。幸いにして、小学校の頃は成績が良かったから学業への影響は少なかったけれど、中学生以降はそうもいかない。1週間分の授業をキャッチアップするのはなかなか大変だからね。

そういえば、小学5年生のときに担任の先生に「みんなと同じように休んでおいて、さらに連休を取るなんてありえない」と教室中に響き渡る声で叱られたことがあったっけな。じゃあ、ゴールデンウィークは学校に来るから授業やってくれと言い返して揉めたものだから、教頭先生に収めてもらったことがある。今では考えられないような事例だけれど、実は現代の課題を捉えた現象だったのかもしれない。

連休の分散取得を大人と子どもが一様に取り入れるとしたら、学校も同じことになる。もっと言えば、民間も公共機関もすべてが年中無休に近い状態になる。社会全体がシフト制というわけだ。そんな中で、「私達だけは土日休みにします」なんてことをすれば、シフトにひずみが出るのは当然のこと。

毎週定休日があるというのは、日本では近代以降のことなんだよね。江戸時代までは、まとまった休みは盆暮れ正月くらいのもの。毎日仕事をするのが当たり前だった。その代わり、仕事の合間に自由な時間があって、わりとプライベートな時間を過ごすこともできた。

今、大河ドラマで江戸時代の庶民の様子が描かれているけれど、日中も通りを歩く人は多くて、用事のある人もいればそうでない人も入り混じっている。働く時間の拘束力が現代ほど厳しくない。田舎だって、農作業が一段落すれば自由時間。稲刈りとか田植えとか、一時的に忙しい時期もあるし、日常の作業だってやることはたくさんあるんだけど、手をとめて休憩したり、出かけていったりすることが出来る。そんな社会。

つまり、固定された休日がない代わりに、働き方がちょっと緩やか。そんなイメージなんだよね。休日の分散を行おうとすると、これの現代版ということになると思うんだ。どうなんだろうな。個人的には「アリ」だと思っちゃうんだけど、社会実装するのは難しいのかな。

今日も読んでいただきありがとうございます。日曜日にみんなで休むっていう習慣は宗教儀礼に端を発しているらしいよね。同じタイミングで休むと、みんなで集まりやすい。人が集まるっていうことは、集約型労働がやりやすいし、集団教育もやりやすい。となると、集約型ではない働き方や教育が実現すればいいってことなんかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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