今日のエッセイ-たろう

小さな挑戦の記憶は、未来を温める。 2025年8月21日

静岡県掛川市には「緑茶で乾杯条例」がある。元々、国や静岡県などが定めた茶業振興に関する条例はあったのだけど、掛川市緑茶で乾杯条例はそれらとはちょっと毛色が違うのだ。

一般的な茶業振興条例の場合「お茶をつくる人の努力」が前提になっている。これに対して、掛川の緑茶で乾杯条例は「市民が協力しあう」が前提。お茶を売る人も、提供する人も、飲む人もみんながちょっとずつ関わるのだ。特に、飲食店や宿泊施設を舞台として設計されている。
これは、「食文化とは一般消費者の行動習慣によって規定される」という理念がベースにあるからだ。この部分は、条例文に直接書かれてはいないのだけれど、発起人であるぼくが言うのだから間違いない。緑茶の価値を認め、それに対して対価を払って楽しむ。この習慣を一般化させようと思ったら、手近なところに飲食店という存在があった。だから、激しい運動ではなくてもいいから、緑茶や緑茶を使ったドリンクが有料で提供されている環境を作ろうと思ったのである。

お茶は無料が当たり前なのか

もともと、緑茶が無料で提供されるのが当たり前だという感覚には違和感があったんだ。飲食店で働くようになる前からずっと気になっていた。例えば和風レストランでは、烏龍茶はしっかりとドリンクメニューに記載されているのだが、そこには緑茶の姿はない。無料で提供されるのが緑茶であっても、ほうじ茶であっても、「日本の伝統的なお茶」は「メニューにない」のだ。強引に例えるなら、「洋楽のCDはちゃんと売っているのに、日本人アーティストのCDは無料配布」されているようなものだ。

友人たちに聞いてみると、緑茶そのものに価値を感じていないわけではなかった。なによりの証拠はペットボトルのお茶である。コンビニで販売されるペットボトル入り飲料で最も売れているのは緑茶なのだそうだ。確かに売り場面積を見ると、圧倒的に広い印象がある。これは、デザインの問題なのではないか。

そこで、まずは自分の店で緑茶をメニューに掲載することにした。まずは実験である。結果として寄せられたのは批判的な声だった。「お茶なんかで金を取る店」といったあからさまな人もいたし、好意的な人であっても「美味しいお茶が飲めます。有料だけど。」と注釈がついた。実験のおかげで、「飲食店における茶は、無料であるべき」という観念が刷り込まれている事実に直面することになった。ならば、次の一手をどうするか。

一冊の本で紹介されていた事例

たまたま手に取った本は、お茶について語られていたものではなかった。その中にあった三宮中華街でのエピソードに目が止まった。ある時期まで、中華街では烏龍茶が無料で提供されるのが当たり前だったのだそうだ。これに違和感を持った一人の人物が、烏龍茶を有料で注文してもらえるように運動を起こしたのである。その結果、今では日本全国の飲食店で烏龍茶は有料で提供されるのが当たり前になった。と、記されていた。本の内容はほとんど忘れてしまったけれど、このエピソードだけは深く心に残った。それが事実かどうかはわからない。それに、事実でなくても構わない。ぼくに「出来るんだ!」という確信にちかい感情を芽生えさせたことが大きな出来事だった。

ぼくは「条例を作りたい」と思ったことは一度もない。これから先の茶産業のことを考えたら、「一杯のお茶の価値を可視化して、しっかりと対価を取れる環境を作るべきだ」ということだけを考えていた。そのためのステップとして、消費者の観念を変えていくことが必要で、そのためには茶業関係者だけでなく飲食店などを巻き込むのが良いし、それを行政が後押しするのが良いと思っただけだ。これを実行するに際して、わかりやすい「シンボル」「旗」が必要だったから、京都で先行していた「日本酒で乾杯条例」をヒントに「緑茶で乾杯条例」を提言したというわけだ。

先行事例という後押し

「出来る」という確信は、人の行動を後押しすることがある。ヘレン・ケラーが視覚と聴覚を持たなくても学ぶことが出来ると信じられたのは、既に挑戦した先人がいたからだと聞いたことがある。ある困難に出会ったとき、天を仰いで嘆くことがあるかもしれない。それは、自分の力ではどうにも出来ないと、その方法が見当たらないと感じているからだ。だけど、既に乗り越えた人がいると知ったとき、その方法を学ぶことが出来るし、なにより「自分にも出来るかもしれない」という勇気をくれる。

食にまつわる歴史を勉強していると、そうした変革の事例にたくさん出会う。切麦という麺料理があったから、そば粉を使って麺を作ろうと思っただろう。初期のそば切りはボソボソした食感だったそうだが、いろんな人の挑戦を見聞きすることで、改善するための挑戦者が続出したのだ。「それが出来るんだったら、もしかしたらこれも出来るかもしれない」というインスピレーションの連鎖である。

歴史の高みに立って過去を見ると、「昔は未発達だった」という価値判断に留まるかもしれない。だけど、学ぶべきなのはそこではなく、「挑戦者がいた」という事実と「触発されて挑戦者が続いた」という連鎖だろう。誰かの挑戦は、きっとまた別の時代の別の誰かに繋がっていく。ということは、これからも繰り返し起きていくだろう。

今日も読んでいただきありがとうございます。
きっと誰もが別の誰かに影響を与えているんだろうな。人数の多寡も影響力もそれぞれだけど、皆無っていうことはないと思うんだ。そうだとしたら、少しでも“いい影響を残したな”って思ってもらえる方が、やっぱり気持ちがいい。
だからさ。“今が良ければ良い”じゃなくて、せめて数十年先くらいまでは考えて、良い影響を残せたらなと思うんだ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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