「味噌って良いよなぁ。うらやましいよ。」
随分前のことだけれど、あるフレンチのシェフに言われたセリフだ。
どういうこと?と思っていると、続きを語ってくれた。
「普段からいろんなソースを手間かけて作っていて、たしかに、そのおかげでいろんな味のバリエーションがあるんだけどね。味噌って、もうそれそのものが完成されたソースみたいなものだからさ。こんなに完成度の高いソースを手軽に使えるなんて凄いことじゃない。和食の特権かもね。」
今でこそ世界中のレストランで醤油や味噌が使われるようになっているが、以前はそんなことはなかった。もちろん、日本のフレンチレストランでは隠し味として使われることは一般的だったのだけど、少しばかり後ろめたさを感じていたこともあるという。
国内外の食通から“本物のフレンチじゃない”と言われてしまうことがあったそうだ。
「〜らしさ」は、ときに強固な足かせになる
今では信じられない話だけど、40年ほど前は日本料理でマヨネーズを使うのは異端扱いだった。
漫画「美味しんぼ」で、海原雄山が「会席料理は完成されている。料理人が提案したもの以外の食べ方をしたところでそれ以上になるはずがない」という。この挑発に対して山岡士郎は、マヨネーズを溶いた醤油をつけてカツオのタタキを食べてみせるのだ。何が衝撃なのかって、周りの人たちが「ちょっと山岡さん、そんな食べ方して正気なの?」という反応をしていることだ。
会席料理にマヨネーズはふさわしくない、似つかわしくない、というイメージがあったのだろう。現代から見るとちょっと滑稽に思えるかもしれないけれど、似たようなことはいくらでもあると思う。
ぼくも煮物にコリアンダーを使ったり、炒め物にシナモンを忍ばせたり、和え物に黒胡椒を使うことがあるのだけど、やっぱりちょっと"変わり種”の扱いを受ける。なぁに、そんなことはちっとも気にすることはない。どれもこれも500年以上前から日本料理で使われた実績のある香辛料なのだ。ただ、現代人の「伝統的和食のイメージ」にハマらないというだけのこと。
調味料の認知革命
きっと、どこかの誰かが、そのイメージをひっくり返していったはず。
例えば、日本料理なら、テレビ番組「料理の鉄人」で見せられた道場六三郎氏の料理は影響が大きい気がする。かなり早くからチーズやバター、香辛料、タピオカなど外来の食材を使って見せていたのだ。ただ、当時、既にぼくの父も様々な新しい食材を取り入れていたのも事実。ぼくの目から見ればそういう新規性に関しては、父のほうが早かったんじゃないかと思うくらいだ。
ひとつ、決定的に違っていたのは「見せた」ということ。
今までにない(と思い込んでいた)食材を、ちゃんと使いこなし、食べさせる。番組で審査員をしていた人たちがそれを肯定する。「ちゃんと美味しくて、ちゃんと日本料理の文脈に乗っている」と認めるのだ。
そういう意味ではデンマークコペンハーゲンのレストラン「NOMA」の影響は大きい。なにしろ“世界のベストレストラン50”で、何度も1位に選出されている店なのだ。そして、その料理の革新性の肝になっているのが、日本に影響を受けた発酵食品だという。そう、味噌だ。
おかげで、今では味噌を使うレストランが世界中に増殖しているのだそうだ。もう、フレンチで味噌を使っても異端扱いする人はいなくなるだろう。
「〜らしさ」の源流
日本料理らしさ、フランス料理らしさ、中華料理らしさ。なにが、「らしさ」を作っているのかはとても曖昧。カレーの隠し味にちょっぴり醤油を入れただけで「ちょっと和風だね」と思う人もいるし、そうじゃない人もいる。とても言語化が難しいのだけど、ぼくの感覚では、食材や調味料が「らしさ」の決め手にならないような気がしている。
考え方のクセみたいなものが根っこにあるんだろうな、と思っている。食材とどう向き合うかとか、何を良いと感じるか、とか。そのあたりのことが違うと、おのずと出来上がる料理は異なる。やったことがないからわからないけれど、見知らぬ国ではじめての食材ばかりだったとして、ぼくなりに色々と料理を工夫したら、やっぱり和食っぽさが出てくるのじゃないかと思う。
これについては、いまいろいろと勉強しているところ。まだ語るには、ちょっと整理ができていないかな。ま、仮に整理ができていたとしても、ちゃんと書いたらうんと長くなってしまうだろうから、今日のところはここまで。
今日も読んでいただきありがとうございます。
まぁ、実際のところ特徴的な食材はあるんだよね。「◯◯料理」を象徴するような食材。例えばキムチなんかは、どうしたって韓国料理っぽく感じてしまうだろうからね。でも、それも多分「今だけかもしれない」と思うんだ。そのうち、どこかの誰かが取り込んでいって、いつのまにかローカライズしてしまう。だって、大抵の料理って外部を取り込むことで発展してきたからね。