今日のエッセイ-たろう

「見立て」は遊びとしては本質に近いのでは? 2022年8月21日

料理山海郷や料理珍味集は、見立て料理の発信源という話をした。豆腐シリーズの最初。#108「豆腐と料理概念を変えた料理本」ね。

料理だけじゃないけれど、この「見立て」というのが面白いんだよね。なんというか、遊びの本質は「見立て」にあるんじゃないかと思うのだ。

娘が何度も繰り返しレゴで遊ぶ。もうしつこいくらいにね。レゴってスゴくてさ。2歳位でも楽しめるし、小学生になっても楽しめるんだよね。それは「自由に組み替えられる」という特性があるからだ、とも言えるのだけれど、違う側面もあると思うんだ。それは「抽象度が高い」ことである。

ぼくらが勝手に想像して作り出す「レゴの車」は、だいたい「これは車だ」と言えるようなカタチになる。それっぽいものを組み立てるのは、幼い子供でもやってのけるのだ。けれども、ぼくらが作り出した「レゴの車」は、どこをどう見ても「実際の車」とはかけ離れている。こんなものが実働しているところなど見たこと無いっていうカタチなんだよね。

せめて、タイヤでもついていれば「まぁ、だいたい車っぽいよなあ」というくらいのことは言えるかもしれない。だけど、タイヤがついていなくても「これ、車っていう設定ね」という感覚で「これは車だ」と認識してしまう。やっていることは、メチャクチャだ。車には見えないものを車ということにして、それを絵にしたとして、それはアートなのだろうか。伝えるという文脈では、まことに不都合なほどの抽象化である。

抽象化すると、遊びとして応用範囲が広い。

「抽象化してなにかに見立てること」自体が遊びの本質的な部分なのかもしれない。レゴみたいなおもちゃは、抽象と具象の狭間を行き来するためのモノだって思えるんだけど。だからこそ、いろんな楽しみ方を自由に設定できるのだろう。結果的に、長く遊べるおもちゃになる。

これとは真逆の現象があるらしいよ。実に写実的で遊び方が限定されたおもちゃは、それ以外の用途が失われているとも言いかえられる。用途が限定的だと、その用途に必要性がなくなるとか楽しくなくなるといったことが起こると、早速遊ぶのをやめてしまうのだそうだ。

「見立て」という遊び。

確かに龍田川の紅葉のようにも見える。だけど、違う山の紅葉にも見える。川を連想させるつもりのものが、山を連想させる。それは、見る人の自由なのだね。解釈の自由があると、そこに遊びの余地が出来るんだろうなあ。

ぼくが八寸を盛り付けるときには、南禅寺の庭を思い浮かべることがある。八寸の説明はいるかな。厳密には違うけれど、一つの皿や重箱に複数の料理を盛り込む形式だ。長方形の大皿を庭に「見立てる」わけだね。真ん中を大きく開けて空間をつくる。左奥に背の高いものを配置して、その左手前あたりに少し低くて幅のあるものを置く。松と庭石のイメージだ。見た目は全く松の木には見えないし、石にも見えないんだよ。ただ、形状のバランスがそれっぽいっていうだけなんだよね。

箱庭のイメージです。と言葉で伝えると、もうそれっぽく見えてくるから不思議じゃない?見る人がそのように見ることを遊びとして受け入れるんだよね。そこには、厳密さなんて無くて良い。むしろ邪魔になる。ディテールが本物に近づけば近づくほどに、細部の違いが気になり始めるのだ。むしろ、雑であるほうが都合がいい。足りない部分は、見る人の脳内で補完する。脳内のイメージは自分勝手に作られる分だけ無限で、しかも完全なのだ。他の誰のものでもなく、本人にとっての完全。

今日も読んでくれてありがとうございます。不完全な見立て。だからこそ、完全なイメージを想起できる。結果としてリアリズムを超えることすらある。なんだか面白いよね。日本料理には、見立てがたくさん登場する。時々は、そういった目線で料理を見てみるのも楽しいんじゃないかな。それにしても、芸術の見立て文化を料理に持ち込んだ料理山海郷は偉大なターニング・ポイントなんだなぁ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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