今日のエッセイ-たろう

自由意志を疑う。2022年9月5日

最近ね。ホントの意味で自分で決めているものなんかあるのだろうか?という疑問がずっと頭の中にあるんだ。いや、違うんだよ。何かに操られているとか、運命だとか、そういう話じゃなくてさ。何の影響も受けずに、自分の意志だけで決定していることなんか無いんじゃないかって。

例えば、食の好み。好き嫌いもあるけれど、なんとなく食の好みには傾向がある。現代の日本人は、昔に比べればずいぶんと米の消費量が減ったし、味噌汁を毎日食べないという人も増えた。それでも、やっぱりご飯と味噌汁っていうのは、日本人のアイデンティティだろう。それに、世界と比べればこんなにご飯と味噌汁を愛している国は他にはないわけだ。当たり前だと言えば当たり前なんだけどさ。

なんだかんだ言っても、魚の消費量は世界でも群を抜いて多い国だし、醤油味が好きなのも間違いない。海外から日本に戻ってきた時に、空港は醤油の匂いがする。海外生活の長い人、それは外国人も含めてだけど、特に感じるだろう。やっぱり、日本人にとって醤油の味はホッとする味なんだろうね。

代表的なところで、あえて米と味噌と醤油を例に出したんだけど、それだけじゃないと思うんだ。歴史を振り返ってみれば、初期の段階では日本人にも受け入れられなかった食べ物だってあるわけだ。梅干しなんて食べるものじゃないくらいの扱い。漢方薬みたいな扱いをされていたし、どちらかというと梅干しを漬け込んだ梅の白酢の方が需要が高かったようだ。調味料としてね。

けれども、きっとどこかの誰かが梅干しを普段の食卓に並べるようになった。あんな強烈な味を食べるのかと思ったかもしれない。こうやって食べると結構美味しいよ。そんな風にして近所に広まっていったのかもしれない。そうこうしているうちに、子どもたちも同じ様に食べる。お母さんが食べているのだから、それが普通になってしまう。その子供も、またその子供もそうやって当たり前が作られていく。いつしか、日本中で食べられるようになって、漢方薬としての役割は忘れられたし、現代に至っては梅の白酢の活用は知っている人だけが知っている事実になってしまった。

ね。段階的に当たり前になっているでしょう。

でね。これ、自分でコントロール出来る範囲の外側にあることなんだよね。

自分でコントロール出来る範囲の外側。そういう意味では、生まれてくることもそうだ。まぁ、おぎゃあと生まれてしまったことはどうしようもないし、それ自体は生活には関係ない。日常生活に入り込んでくるのは誕生日かな。誕生日を祝おうが祝わなかろうが、そんなことも自分でどうにか出来るもんじゃないだろうね。ぼくの意志とは関係ない。だから忘れられてもなんとも思わなくて良いってことだ。

死だって、同じ様に考えられる。生まれることに比べれば、それはなんとか自分でコントロールが可能な範囲に近い。実際に武士はその様に考えていたらしいよね。生まれることは選べないし、もっと言えば生き方すらも選べない。けれども、死に場所だけは誰にも縛られない。どれだけ自由意志を大切にしていたんだろう。でも、ぼくはそれすらも本当に自分の意志なんだろうかって思うんだよね。死に直面する環境が向こうから勝手にやってくるわけだ。その環境にならなければ、死を選ぶという思考すら浮かんでこないかもしれない。現代でも病気とか生活環境とか、そういった外部要因があるから選択肢に上がるだけなんじゃないかな。あくまでも想像の域を出ないんだけどね。思ったこと無いから。あ、違う。もし今死んだら世間はどうなるかなって想像したことくらいはあるよ。でも、確かめられないから意味がないんだけど。

何かを見て美しいと感じる心の動きだって、もしかしたら自分の外側の環境に依存しているじゃないだろうか。多分そうだと思う。平安時代と現代の美の基準て違うらしいって。そういう話をよく聞く。細身の人よりも、ぽっちゃりしている人のほうがモテた。男女関係なくね。ヒツジが大きいと書いて美。まぁ、これはこじつけだろうけど。

かと思えば、平安時代の仏像なんかは美しいと感じるんだから、よくわからない。個人的には鎌倉時代のものよりもずっと美しいと思うのだよ。それは、たまたま一致しているだけなのかな。仏像のアートとしての側面から歴史を紐解いてみたら、わかるのかしら。平安時代の美しさが現代にもおおいに影響しているようなきがするんだけど、実際のところはどうなんだろうなあ。

無限の組み合わせで、たまたまぼくという一点に影響が重なっている。その組み合わせはひとりひとりに違っていて、だからみんな違っているように見える。影響しているモノゴトのいくつかの部分が同じだと、その人とぼくは似ているということになる。日本人という共通のカテゴリで、似たような影響を受けたんだろうね。文化とか教育とか、いろいろな経路で。だから、似ているし違っている。そんな感じかな。

で、その中でホントの個体差としての自由意志ってどこにあるんだろうか。いや、無くても全然かまわないんだけども。ちゃんと関係性の中で自由意志のように振る舞うことが出来ているんだから。あとは、その幅の大小ってことだけで。

今日も読んでくれてありがとうございます。なんの解決にもならないし、人によっては「でしょうね」ってくらいのことだ。この文脈をもって、日本と世界の食文化を眺めると良いのかもしれない。世界共通の基準点を1つだけ作るのは無理があるように思えるんだ。そこまで考えていなくても、例えば日本の食文化を海外に発信する時には、相手の文化の上でどの様に振る舞うのかってことを考えなくちゃいけない。日本以外なら、似ている影響因子が少なくなるだろうからね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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