今日のエッセイ-たろう

文化財の保存と活用について考えてみる。2022年9月19日

文化財についての考察を続けてみよう。昨日の続きだ。

文化財保護活用振興計画。長い名前。保護と活用を検討して計画書を作成しましょうってことね。で、今回はそもそも「掛川市が考える文化財」とはなにか、を定義するところから始めることになった。もともと、市役所で検討が始まった段階では、そこまで議論するつもりはなかったらしいのだけれど、集まった人たちから自発的に再検討が始まった。誰だ、このメンバー集めたの。めっちゃオモロイ。

昨日書いた通り、文化財について個人的に考えた定義はある。けれども、それだけではない。もう少し幅広く遣唐使なくちゃいけないんだよね。あくまでも文化なのだから。無形の慣習だったり、時には匂いだったり景観だったりもする。そういうのも含めて考えなくちゃね。祭りとか、春になったらあちこちでお茶の匂いが立ち上るとか、あと茶つみ休暇っていう謎の文化もあるし。大小様々な、物語が付随しているモノはたくさんある。

ということで、行政で「市民が文化財になりうると思うもの」を収集し始めた。書籍や伝聞から各地区ごとに分けて集める。容易な作業じゃない。一覧を眺めると、これが文化財か、と疑うようなものも含まれている。なのだけれど、付随している物語を聞いてみると「わからなくもない」という気もするのだ。

掛川市内に点在する100以上のため池。そのうちいくつかがリストに掲載されていたんだよね。これ全部登録したいのかな。もともと、260以上もあったんだけど、現在では半数以上が埋め立てられた。というのも、当地は水の供給源が乏しくて、農業用水として室町から江戸期にかけてたくさんのため池が掘られたんだ。だから、当然その土地の人たちにとっては深い物語性を感じるモノでもあるのだろう。

と、ここで検討するのは、これらのカテゴライズだ。保存して活用するもの。保存するだけなんだけど、そこに予算が必要なもの。保存したいけど予算をつけないもの。とりあえず把握しておくだけのもの。まぁ、乱暴だけれど、ざっくりとカテゴライズしないとね。とても全部は無理だもの。保存も活用も、実施するにはリソースが必要。それは有限なのだ。トルコなんかもそうだけど、無造作に放置されていて子どもたちの遊び場になっている遺跡がゴロゴロ転がっている、というところだってあるんだよね。じゃあ、全部保存して活用するのかって言うと、それだと現代の生活に支障をきたす。

結局、投資感覚なんだろうなあ。現時点もしくは、将来にわたって文化財として貴重であり、活用の可能性があるものは優先順位を上げて、そうでないものはある程度のところで線引をする。そういうことが必要なのだ。

で、課題が2つ。

現時点で「価値」を語っても、それが将来も同じとは限らないということ。今、価値があるというものだって、将来無価値なものと言われるかもしれない。まぁ、これに関してはある程度の期間は大丈夫だと思うんだけど、モノによってはすぐに風化するかもね。あと、今は無価値に感じているものが、数十年後に価値があったとわかるモノ。あの時、ちゃんと保存しておけばよかった。なんてことになりかねない。実際、そういうことってたくさんあるよね。なんで、東海道の街並みを破壊して中途半端に近代化しちゃったんだよ。みたいなこと。でも、その時はそれが最善の選択だったんだからしょうがないじゃない。ただ、文化財という観点から、予測をしておくことも必要かもしれないね。きっと当たらないけど。

もうひとつは、保存するという行為は、現代の実生活とマッチしないケースが多いこと。保存したために不便で仕方がないということもあるんだよね。よくあるのは、町並み保存。令和の時代に江戸時代の建物は不便でしょうがない。道路だって狭いし、土地だって狭い。風は抜けてくるし、水回りも火の扱いも慎重になる。劣化した木材の張替えはどうするんだって話にもなる。茅葺きなんて、葺き替えるだけでもかなりの予算が必要になるんだよね。重要文化財指定を受けた家屋の持ち主が、困っていることがこれ。保存のための予算は個人で捻出するしか無いってこと。多少の補助があっても焼け石に水なんだ。観光資源として活用されていて、保存のための原資を稼ぐことができれば良いのだけれど、個人所有だとそれもままならない。結果として、個人の収入から持ち出しということになる。これは、市や県が保有したとしても同じことだよね。

文化財を観光資源として活用すると、金を稼ぐことが悪く言われるケースが有る。実際にある。なのだけれど、保存のためにはお金が必要で、そのための資金であることも多い。利益はほとんど保存費用で消えることもある。

ざっと、個人的な思いつきと考察ね。これから、委員会でどんな話になっていくかな。これが全てじゃないはずだし。もし全てだったら、委員会での検討なんて要らないもんね。だって、もう書いちゃったもん。

さてと。ちょっとくらいは観光資源として市町に人がやってくるようにならないとね。そのための計画だから。計画。計画は実行しなくちゃ。実行して何かしらの結果が出るところまでが1シーズン。まだ、その入り口に立つための身支度を整えている段階。という認識を伝えるのがタイヘン。よくある話さ。

今日も読んでくれてありがとうございます。たべもの関係ないように見えるでしょう。ホントにほとんど関係ないのだけどね。取り敢えず委員会メンバーには、たべものラジオ好評です。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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