今日のエッセイ-たろう

ノーミス前提の社会って厳しすぎないかな。 2023年7月15日

まだ、勉強が中心であるはずの年齢の頃。時々行われる学力テストで90点以上だったら、まず親に文句を言われることはなかった。当たり前のように高得点を取っていたのは小学生の頃までで、そこから先はあまり見ることはなかったけど。それでも、たまには良い点を取ることがあって、大抵の場合は褒められたものだ。自己評価はさておき、周りからはそう見られたという話ね。

90%も正解していれば十分。もちろん、そうはいかないこともあるけれど。学問だろうが日常生活だろうがビジネスだろうが、だいたいはそんなものだろうと思う。

でも、どういうわけか一度でもミスったら終わりみたいな空気がある。

社会や他人に対して重大な損害を与えてしまった。というのならば、それは大問題。だから、予めわかりやすく道徳なり法律なりで教えてくれているわけだ。そうじゃなくて、失言だとか考え違いだとか、ただの意見の相違だとかで、落第させようとする風潮がある気がする。

間接的に聞いた話。地域を活性化させようと頑張っていた先人がいた。その人は、色んな人を巻き込みながら、賛同を得ながら場所を作ったりメディアを作ったりしていたらしい。ぼくも、それらを直接目にしてきた。あるとき、事業がうまく行かなくなって頓挫してしまったという。

しばらくして、その人応援していた人が事業を継承している。しかし、事業に参加した人の一部からは、彼が失敗したことで被害が出たとか、乗せられて損失を出したといった言葉がこぼれたという。結果として、同じ地域を盛り上げようと思っても、もうその場所に彼の居場所は無くなっていた。ずいぶん前に街を出てしまったらしいと噂が流れた。

これ事実なんだよね。その人のことを、ぼくは直接知らないし、何があったのかも詳しくは知らない。本当に再起が出来ないほどの失敗をしたのかどうかも知らない。なのだけれど、全く再起が出来ないほどの烙印を押すというのは、よほどのことだと思うのだ。

外野から見ると、町を良くしたいと思ってチャレンジしてみた。いろいろ意見が違うということもあったかもしれないが、ちゃんと形にして挑戦を続けていた。けど、どこかで掛け違いがあったのか、事業経営がうまく行かなくて失敗した。ただそれだけのことだ。

成功していれば、いや失敗していなければ、多少は性格に癖があっても大した問題にはならない。いざ、一度でも目立つ失敗をすると、そのクセは極大化する可能性がある。人懐っこい性格は、途端にいやらしく見えてしまうかもしれない。どこかに腹黒さを感じてしまうかもしれない。

恋しているときには「アバタもエクボ」だったのが、ある時からそう見えなくなるという。一度でも嫌いになったら、かつての長所は短所にしか見えなくなるのだろうか。

間違えないように、失敗しないように。

工場みたいな場所で、とにかくミスのないモノづくりというのであれば適合なんだけどね。新しい価値って生まれそうもないんだよね。たべものラジオは、ちっちゃなメディアだから叩かれるようなことってほとんどない。だから好きなように喋らせてもらっているんだけど。「そもそも、ぼく個人の自由研究を発表している」という番組だしね。なるべく事実らしいことはそのまま歪みの内容に伝えようとは思っているのだけれど、それを完璧にこなすことなんて不可能だ。言葉は発した瞬間に意味を失い、受け取った瞬間に新たな意味を得る。ってどこかの偉い人が言ったらしい。誤読は必ず生まれるってことだね。

今日も読んでくれてありがとうございます。ちょっと違うと思う部分もあるけれど、だいたいの方向性として「良いじゃん」って思うくらいの寛容さって、あったほうが良いよね。前にも、読書をした時にこんな感覚になったことがある気がする。なんだっけな。武士道だったかな。寛容さって大事よね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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