今日のエッセイ-たろう

価格とモノの量の関係について考える。 2023年8月22日

こういうことが苦手なんだろうな。主語は「日本人は」とも言えるけれど、「人間は」とも言えるかも知れない。2年ちょっと食を通して歴史や社会を学んで感じたことだ。つい、そうしてしまう。というようなことかもしれない。

何かの商品が人気になる。それは、生活者の側から生まれたニーズによって自然発生的に人気が高まったという場合もあるし、生産者や販売者によるブランディングやマーケティングによって人気が高まったという場合もある。

そうしたときに、人類は「つい、量を多くしよう」とする。そんなふうに見える。コショウを始めとしたスパイスもそうだし、砂糖もそうだったよね。コーヒーもチョコレートもお茶も同じ傾向があるように見える。

でね。価値の高まったものをたくさん売るのが良い場合もあるんだけど、そうじゃないケースもたくさんあるんじゃないかと思うんだ。

例えば、のどぐろという魚。一躍スターになったよね。少し前まではアカムツと呼ぶことのほうが多かったんだけど、北陸地方のブランディングによってノドグロという名称で日本中に知られることになった。で、人気が出てくるとよく売れるし、価格も上がってくる。そうなると、もっと売ろうということで、旬の時期以外も漁をするようになるし、幼魚も獲るようになる。結果として、漁獲量が減ってしまい、一部は輸入に頼らざるを得ないという事態になったわけだ。

シンプルに価格設定を上げるという選択もあったんじゃないかな。確かに、そうするとぼくらのような庶民かつ飲食店は苦しい。だけど、漁場環境を考えたら、漁獲量を無理やり上げるというのは悪手に見えるんだよね。

海外の富裕層向けのホテルは、稼働率目標が60%だそうだ。日本は90%。どれだけ部屋を埋めるかという話なのだけどね。あえて稼働率を上げないことで、急なお客様に対応できるという新たな価値を提供することが出来る。稼働率が低い分だけ、一部屋あたりの単価を上げる。

これは、富裕層向けビジネスの話だけど、なにかヒントになりそうな気がしている。

よく売れて人気が出たからと言って、提供する量を増やしすぎると価格が低下する。それが業界を苦しめた例は枚挙にいとまがない。砂糖、お茶についてはすでにたべものラジオで紹介した通りだ。

ただ、一方で量が必要なモノもある。世界中の人達の生活の基本的な部分をささえているようなもの。例えば、米とか麦や大豆。こうしたものが、量を減らして価格に転嫁されるようになると、社会が混乱することになるだろうね。

ひとつの考え方をいろんなものに当てはめるということは、やっぱり良くないのだろう。ケースバイケースで、ちゃんと見極めていく。仕組み化するのはとても骨が折れるのだろうけれど、やる価値はあるのかもしれない。

当店は、少し安すぎると言われることがある。東京だったら倍の値段になるとか、ニューヨークだったら5倍は硬いとか。商圏や地域柄があるから、よく見極めなくちゃいけないところなんだけどね。ただ、座席の稼働率が高すぎると、その分だけクオリティに影響が出たり、お客様が過ごす環境が低下したりするリスクがあるのは、最近感じている。なかなか判断が難しい所ではある。

今日も読んでくれてありがとうございます。ちょっと話がずれちゃうんだけど。飲食店もスーパーマーケットも、一定のロスを見込まなくちゃいけない。エコシステムがそうなっているんだよね。そのロスの分をどこで回収するかっていうのが問題。自社で負担するのか。それとも、商品価格に転嫁するのか。もしくは、仕入れ先に転嫁するのか。誰かが便益を受けるとき、どこかにしわ寄せがあると考えなくちゃだね。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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