今日のエッセイ-たろう

食文化のキュレーション。 2024年7月4日

キュレーションとは、「美術館、博物館などの展示企画」「情報などを特定のテーマに沿って集めること」だそうだ。一歩進んで言えば、「収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有すること」となる。

ぼくは、料理人というクリエーションを行う人間ではあるのだけれど、どちらかと言うとキュレーターに共感するのだ。美術館の学芸員さんの仕事っぷりに詳しいわけじゃないけれど、共感する部分が多いように思うのだ。

日本の料理文化は、なるべく素材の味を活かすこと。というのが影響しているかどうかわからないけれど、「静岡の海で取れたカツオがうまいんだけどどうですか」「近所で採れたきゅうりがうまいんだよね」という提案が料理になる。ホントはね。会席料理で使った食材を、購入できるようにしたいくらいなんだ。

当店で地元のお茶がドリンクメニューに並んでいて、それらを購入できるようにしているのは「お茶のキュレーション」をしている感覚。それを案内文や接客、たべものラジオで補強している。よく接客時に言うのだけれど、当店のお茶が美味しいのはぼくが頑張ったからじゃなくて、お茶屋さんが素晴らしいからなんだ。ある意味では、お茶の宣伝をしているようなもの。これをいろんな食材で行っているのが料理なのだと思う。

食材以外にも、調理方法や食文化の提案という側面があるように思う。「へぇ、こんな食べ方があったんだ。」という発見は楽しいもの。食材そのものはありふれたものだけれど、「こうして食べてみると、また違った美味しさがあるねぇ」と思うことがある。例えば、野菜を蒸しただけの料理があって、それに塩をつけて食べてもらうのだ。玉ねぎ、かぼちゃ、じゃがいも、いんげん豆など、家庭でも一般的に使われることが多い野菜たち。だけど、大抵の場合は煮たり炒めたりして味付けされる。丁寧に蒸して、ただ塩をつけるだけという食べ方は、その食材の素の美味しさに発見がある。「どこで買ったの?」と聞かれたときにも嬉しいし、「今度やってみよう」と言われても嬉しい。

他にも、和食でスパイスを取り入れてみたりすることもあれば、出汁を使わないお浸しみたいなものもある。魚の焼き物でタレを使ったら、添えものはほとんど味付けしていない。炊合せという煮物では、食材によって味付けの濃さが違う。ごま豆腐に合わせるのは、醤油ではなく煮抜きという味噌ベースのタレを使うこともある。

日常ではあまり出会わないような、昔からある料理の文脈や郷土料理を食卓に盛り込んでいく。と、「これはなんだろう?」となる。当店で献立表をお見せすることがないのは、最初に「感じて」もらいたから。食べた後や、食べながらぽつりぽつりと、その料理の来歴をお伝えする。ということが、たまにある。たまに有るくらいでちょうど良い。

料理を食べるっていうのは、食材や料理や食文化に触れる接点だと思っている。むろん、すべての飲食店がそうだというわけではなくて、これはぼくの思想のはなし。そういうことにとても興味があるので、同じく興味のある人に体験してもらいたいという気持ちがあるだけのことだ。

ぼくの場合、料理を作るよりも喋るほうが得意なものだから、料理で表現しきれない部分は語りたくなってしまう。だけど、それは食事の場では野暮ってものだろう。楽しめる人には良いかもしれないけれど、そうではない人にとってはうるさいだけだ。だから、接客という短い時間で語れない物語は、たべものラジオで全力で語るのだ。これも、食文化のキュレーションのひとつであると思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。株式会社武藤のひとつの事業方針は、食文化のキュレーション。キュレーターであろうとした結果事業が生まれたというよりも、いつの間にか注力してきた事業がこれだったという感じなんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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