たいていのことは相対的なもの。絶対値なんて見せられても、それだけじゃわからんよね。というようなことを、老荘思想や禅の思想から感じている。低気圧も高気圧も、ある程度の目安はあるけれど、周囲の気圧と比較して高いか低いかということ。言葉の定義はともかく、それが気象に影響を与える要因なんだから。厳密なことはさておき、感覚的にはそんな感じかもなぁ、くらいに思っている。
料理がうまいとか、演奏がうまいとか、走るのが速いとか。圧倒的な力の差を見せられたらびっくりするけれど、それは自分と比べてだったり他の誰かと比べてだったりする。ちょっとくらいサッカーが上手くても、それは田舎のおっさんの集まりで通用するだけかもしれない。キングカズこと三浦知良選手は、現時点でワールドカップに出場できるほどの力はないけれど、アラカンだったらモンスタークラス。
チームになると、もっとややこしい。チーム全体としてバランスが取れているかどうかも重要な要素になってしまうから。先日も書いたけれど、妹が所属するダンスクラブでは、レベルの低いクラスでは動きが多少遅れても気にならないそうだ。遅れると言っても1秒も遅れることはないし、振り付けだってそこまで難解なものじゃない。だから、少しくらいミスをしてもキャッチアップできる。見ている方だって、そういうバランスだと思ってみている。ところが、ハイレベルのクラスになると、わずかな遅れが際立って目立つという。周りの動きがピッタリとあっているだけに、かえってそれが気になる。早くて複雑な動きの連続だから、その後のキャッチアップも難しいらしい。
料理だって、相対的なバランスが大切。こういう表現をすると誤解を招きかねないけれど、あえてわかりやすく簡略化すると、だ。煮物でも寿司でも蕎麦でもラーメンでもなんでも良いのだけど、全部二流なら二流で揃えてしまったほうがバランスが取れる。素材も調味料も。ラーメンで、スープが一流で麺も一流なのにチャーシューだけが二流だと、そのチャーシューが悪目立ちする。ダンスのハイレベルチームで一人だけついていけない人みたいになっちゃう。
で、興味深いのは、逆のパターンもあるからだ。スープも二流、麺も二流、だけどチャーシューだけは超一流。これも、多くの人は美味しくないラーメンだと表現する。チャーシューだけは旨いよねという人はいても、ラーメンという全体としては評価が下がる。しかも、すべて二流でバランスが取れたラーメンよりも低くなることがある。
コース料理や、盛り込み料理などでは、わざと一つだけを目立たせるために味付けの工夫をすることがある。素材というよりも、わざと主役以外の食材の味をぼやかしたり薄くしたりする。ときにはキツめの味付けをすることもある。そうすることで、主役に据えた食材の良さを際立たせることがあるからだ。それは、ダンスで言えばバックダンサーと主役の関係。激しく動くバックダンサーと、大まかな動きだけ合わせる歌手とか。
一体感を楽しむ料理というのは、そうじゃないことが多い。どんなに主張したところで、食べる方からすれば「全体を味わっている」のだ。たまに「ラーメンの、麺が好き?スープが好き?」と聞かれることがあるのだけれど、ぼくには答えられない。両方揃ってラーメンという料理が完成するのだから、バラして考えるなんてできない。握り寿司が、ネタとシャリの両方セットで成立するのと同じだ。私は違うよという人もいるだろうけれど、大抵の人はバラバラに観察しない。全体で感じている。ダンスだって、推しや知人がステージ上にいれば注目するかもしれないけれど、演目としては全体像の芸術だという。
相対というのとはちょっと違う話になっちゃったけど、なんだか根っこのところでは通じるところがありそうな気がするんだよね。言語化しろって言われるとうまく出来ないんだけど。
今日も読んでいただきありがとうございます。いわゆる高級料理の何が大変かと言うと、バランスを取ることなんじゃないかな。ハイレベルのダンスクラスみたいなもので、ほんの少しの差が顕在化してしまう感じ。この世界観でバランスを取るための技術はもちろん必要だし、感覚を研ぎ澄ませていなくちゃいけない。そういうことなんだろうな。まだまだ修行が必要だ。