今日のエッセイ-たろう

おいしそうに見えるカタチ。 2024年7月25日

炊き込みご飯ワクワク舎というポッドキャストで聞いた話。一般的なカレンダーと、脳内でイメージされるカレンダーが違うのだとか。将棋の盤上に自分がいて、左方向へ進んでいく感覚。で一歩前に出ると、そこは1週間後。なんとも興味深い。時間軸を平面で捉えているという意味では一般的なカレンダーと似ているようだけれど、水平方向に展開されているので方向が全然違う。しかも、自分自身がその中にいる。

ぼくだったらどうだろう。やはり一般的なカレンダーを想起することが多いかもしれない。ただ、少しだけ先の予定を思い浮かべる時、それは短い動画のようなカタチで前方上空にぼんやりと浮かんでいることがある。物事を解釈するときにもショート動画を想起するのだから、ぼくにはそういった思考の癖が染み付いているのかもしれない。

もうひとつ。

温泉に入ってじっと目を閉じていると、その温泉の色がイメージされるという。そんな体験はぼくにはないのだけれど、世の中には共感覚というものがあるから、その一種なのかもしれない。

数字や文字に色がついているように感じたり、音楽を聞いたときに色彩が思い浮かんだり、味に形を感じたり。本来の感覚刺激に含まれていないはずの感覚を得る。連想や比喩ではなく、その人にとってはリアルな体験なのだそうだ。幸か不幸か、ぼくには備わっていない。良いことがああるのか、不便なのかわからないけれど、ちょっと体験してみたくもある。

共感覚ではないけれど、ちょっと不思議な感覚はある。

料理をしていて、行程の序盤に「切る」という作業がある。例えば、野菜をただ蒸すだけだとして、ジャガイモはどのくらいの厚さが良いのか、玉ねぎはどのくらいの大きさが良いのか、というのを考えながら切るわけだ。異なる性質を持った食材を一緒に蒸すときには、時間差をつけることも重要だけれど、野菜の切り分けにも気を使うのだ。

シンプルすぎるがゆえに、それぞれの食材のベストの蒸し加減を探っていく。これは、数学的思考で逆算できそうなものだ。たぶん、ちゃんと科学的にデータを使えば、個体差も含めて再現しやすくなるのだろう。が、ぼくらは日々の経験の中から掴み取ったデータをもとにして、実行している。とても言語化が難しい領域だと思っている。

でね。野菜を切り分けるときに、上記のようなロジックを考えているかというと、案外そうでもない。なんとなく「おいしそう」なサイズ、カタチに切っているのだ。なぜ?と言われても困る。それが実際に「おいしそう」に見えるのだもの。

刺し身を引くときだって、厚さや盤の広さやカタチは、魚介の性質に合わせている。その意識はあるのだけれど、最終的に判断するときの基準は「おいしそう」だと感じることだ。魚の端っこをちょっと切り落としてつまみ食いをする。そうすると、美味しそうなカタチがなんとなく見える。で、大抵の場合は、それが上記のロジックにかなっている。不思議なものだ。

共感覚とは違うだろうけど、言語化も数値化も出来そうにないモノサシを、全部ひっくるめて「おいしそうに見えるかどうか」という感覚に収斂させているのだろう。

今日も読んでいただきありがとうございます。生来持って生まれた感覚じゃないよね、きっと。数えられないくらいの体験が積み重なって、自分でもわからないうちに、そういう体になったんだ。おもしろいなあ。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

-今日のエッセイ-たろう
-, ,