今日のエッセイ-たろう

日本料理らしいと感じるポイントって何だろう。 2024年7月27日

たべものラジオをやっていて、良かったと思えることはいくつかある。それまでの生活では出会うことのなかった人との関わりは、人生を変えたと言っていいだろうな。発想も広がった。今、新たな企画をしているところなのだけれど、それもまた以前のぼくならば思い至らなかった内容だと思うんだ。

視野が広くなったかな。と、自覚するのは、多少なりとも歴史を学び直したこともある。以前、歴史学者の小和田哲男さんにお会いしたときに頂いた色紙に「歴史を学び、歴史に学べ」と記されている。ちょっとした会話の中でも「歴史に学ぶ」ことの大切さを強調されていたのが印象的だ。

日本料理らしさって、一体なんだろう。

父は、料理に胡椒も使うしマヨネーズも使うし、ズッキーニもルッコラもアボカドも使う。ドミグラスソースだってためらうことなく使う。だから、会席料理の一品がヨーロッパ風の料理になることがある。以前のぼくは、もう少し日本料理っぽい食材を多くしてほしいと言っていたのだけど、ぼく自身がなにをもって日本料理らしいと感じていたのかがよくわからない。だいたい、父の作る和洋折衷の料理は、和食としてお客様に受け入れられているのだ。

どこかで「日本料理らしい」料理を作らなければならないと思っていた。会席料理を看板に掲げている以上、そうであるべきだ、とね。それは、ぼくの思い込みの中で作られた「らしさ」で、例えばガーリックや胡椒が際立った料理は相応しくないようなイメージを持っていた。

海外からやってきた食材や料理は、日本料理らしくない。というのは思い込みだった。当店の看板料理のひとつであるてっちり(ふぐ鍋)に使われる食材や調味料は渡来モノも多い。白菜、もみじおろし、ネギにポン酢。不思議なことに、白菜をキャベツ、唐辛子を胡椒に置き換えると、和洋折衷に見えるのだ。どちらも渡来モノなのにね。

渡来時期が違うだけで、ぼくらが「日本らしい」と思っている食材も元々は渡来モノなのだ。それを知ったら、父の作る料理のように、もっと自由でいいのだろうと思うようになったんだ。

一方で、お客様は日本らしさを求めて来店されている。全てではないだろうけれど、どこかで「和の落ち着く空間」を求めている。だから、レストランではなく料亭をチョイスするのだろう。お客様の期待するイメージと大きくかけ離れるわけにはいかない。ビジネスである以上は、そういうことだ。

求められる日本らしさと、料理の自由さ。この2つの間でずっと揺れているんだよね。たぶん、たべものラジオを始める前からずっと。ただ、ぼく自身が学びによって後者に寄っていった。つまり変わったのだね。

今は、チーズもヨーグルトもスパイスも使う。やりすぎは良くないけどね。インド料理みたいになっちゃうとか、ヨーロッパ風になっちゃうってこともあるけど、なによりコース全体のバランスが悪くなるから。結果として、コース全体は日本料理として成立していて、ところどころに渡来モノが小さなアクセサリーのように存在している。そんな感じかなあ。

今日も読んでいただきありがとうございます。家庭でこんなこと考えないよね。日本らしさなんて考えながら料理しないと思うんだ。逆にフランスらしさとか中国らしさとか、考えないでしょう。素直に美味しいものを作って美味しくいただく。それが良いんだよね。楽しい。だから、料亭って、家庭料理の上位互換じゃないんだ。スポーツで言ったら、似ているけれど別の種目ってとこかな。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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