今日のエッセイ-たろう

「楽しい」が生み出すちから。2023年2月22日

楽しいという感情は、行動の原動力になるはずだ。と思っている。何を学ぶにしても、楽しければそれは続けられる。学校の勉強というのは、辛くて苦しいものという認識が多いのだけれど、本当は楽しめれば良いのだろう。ということは、この数年でよく実感している。たべものラジオは、個人的な興味の赴くままに勉強して、面白かったという感想を垂れ流しているに過ぎない。番組を制作するため、と捉えるととても面倒で大変な作業をしているようにみえるだろう。けれど、それもこれも楽しいから続けられているのだ。誰かのためでもあるけれど、根源的な動機はもっと利己的な欲求。つまり楽しいからである。

いろんなところで、楽しいという感情が大切だという話をしている。そのときに例えに出すのがゲームである。ぼくの世代だと、子供の頃に熱狂したゲームに挙げられるのはドラゴンクエストやファイナルファンタジーである。特にドラゴンクエスト3に対する社会的熱狂は今では考えられないほどのものだった。

当時のファミコンゲームは、子供にとっても大人にとってもホイホイと購入できるようなものでもなかった。家にあるゲームソフトの数は限られていて、その中でどれほど楽しめるかというのが主眼になる。今でいうと「やりこむ」という表現になるのだろう。

そういう意味ではドラゴンクエスト3は秀逸だった。ラスボスを倒した後も、勝手に友達同士でルールを設定して遊んだ。どれだけ短時間でクリアできるか。どれだけ低いレベルで攻略するか。どれだけゴールドを集められるか。どれだけレベルを上げられるか。などなど。

主人公のレベルアップのためには、経験値を貯めるのだが、それは敵キャラとの戦闘に勝利しなければならない。実に地味でちまちました作業。かつての僕たちは、この地味でつまらない作業を嬉々として繰り返したのである。ゲームのマップの中で、キャラクターを右左ととにかく移動させる。敵との遭遇はランダムに発生するから、そのために歩き続ける。そして、敵に遭遇したら戦闘を攻略する。弱い敵は簡単だけれど受け取る経験値は低い。強い敵は経験値を大きく稼ぐことが出来る代わりにリスクがある。そんなことを、ひたすらやり続けたのだ。

この地味な努力を学校の勉強に充てたらどうなるだろうか。ちゃんとやり込めば、それに応じて成績は上がるはずだ。しかし、やらなかった。この差は一体どこからやってくるのだろうか。

ゲームばかりしている子供に、ゲームをやめさせたいときに有効な方法がある。毎日2時間以上はゲームをして、それを簡単なレポートにまとめて親に報告させるのである。ゲームをしなければ、夕食にありつけない。そんな制約でも良い。ゲームを義務化すると、1週間程度で子どもたちはゲームをしなくなってしまうそうだ。

つまり、誰かに強制されると楽しさは減少するということだろう。

発見するという楽しみもある。自分自身の体験を通して、なにか新しいことを発見する。それが、人類にとっては既知の事実だとしても、自ら発見するところに面白さがあるのだろう。これってどうなっているのだろう。そういう疑問が湧いてきたら、そのときに調べるなり尋ねるなりする。これは楽しい。何かの役に立つかどうかはさておき、純粋に楽しい。これを先回りして教え込まれるとき、やはり楽しさは減少するのだろうと思う。

推察するに、学校の勉強というのは、上記の両方を兼ね備えた存在のようだ。勉強することを義務のように強いられて、疑問を持つ前に「問」と「解」を与えられる。これに加えて、ゲームのようなエンターテイメント性も薄い。多くの子どもたちにとって、勉強がつまらないと答えるようになるのは必然のように思える。

もっと幼い子どもたちを見ていると、学びというのは「楽しいこと」なのだと思わされる。今日はこんな事が出来るようになったよ。ねぇねぇ、これ知ってる?と、学んだことを実に楽しそうに教えてくれる。4歳の娘の報告に、ぼくが驚いたり質問したりしていると、もっと楽しそうに話してくれる。そもそも、学ぶことは人間にとってエンターテイメントそのものだったのではなかったか。だから、クイズ番組が人気であり続けるのかもしれない。

社会人になってから、仕事をしたくないという人をよく見かける。本音かどうかは知らないけれど、そう口にする人に出会うこともある。楽しくないのだ。楽しくないから、仕事をしないで良いのであればしたくないという気持ちになるのだろう。もし、仕事そのものが楽しいことだったらどうだろう。もしかしたら、夜更かしをしてでも仕事をしたいと思うのかもしれない。実際、そのような人にも出会う。ぼく自身もその傾向がある。

仕事の内容なんかは、あまり関係がなくて、ただただ熱中できればそれで楽しいと思えるのかもしれない。なのだけれど、問題は熱中できることに出会うかどうかだろうな。自分で事業を作り出すとしても、それが生活出来るほどの事業になるかどうか。市場経済の指標の中で価値を認められなければ、ビジネスにはならないのだから。市場価値ではない価値基準で、価値のあるものが認められないというのが現代社会の問題と言うけれど、認められた時代があったのだろうか。それともこれから現出させることが出来るのだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。おもしろきこともなき「○○」をおもしろく。高杉晋作のように、世の中をひっくり返すほどの情熱はないけどね。ちょっとだけでもいいから、食やそれにまつわることを学ぶのに、楽しさというエッセンスを加味出来たら良いな。中学校や高校で、こういう話をしたら良いのに。というか、ぼくが出向けばよいのかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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