今日のエッセイ-たろう

地域のつながりと地産地消 2024年11月8日

ちょっと前に、テレビで児童虐待に関する特集をしていた。虐待は絶対に無い方が良いに決まっている。これに反論する人はいないと思うのだけれど、一方で虐待通報が問題になりつつあるという。

「いつまでも泣いていると、一緒にいられなくなっちゃうよ」

そう子どもに言う親が増えているそうだ。ぼくらが幼い頃ならば、「鬼が来る」などと怪異が恐怖の対象だったのに比べると、随分と現実的で、その分だけ冷え冷えとした恐ろしさがあるように感じるのだが、どうだろうか。

東京で仕事をしていた頃は、同じマンションの隣人が何者なのかは知らないのが当たり前だった。朝晩の通勤時や、ゴミ出しのときには顔を合わせることもある。けれども、その人がどんな仕事をしていて、どんな人柄なのかは知らない。ましてや、共通の話題で談笑することなどほとんどない。その人の家族が、どんな生活を営んでいるかなど想像することも難しい。わかっているのは、ただ似たような間取りに住んでいる人であるということくらい。あとは断片的に漏れ聞こえてくる音や匂い。

窓からタバコの匂いがする。醤油が焦げる香ばしい匂いがする。子どものはしゃぐ声がする。たまには夫婦喧嘩の声や、子どもを叱る声も聞こえる。

田舎のまちでは実にほのぼのとした「こぼれ出た生活の断片」だけれど、それは家族の生活が想像できるからだろう。想像できるだけの情報が、たくさんあるからこそ断片から想像ができるのだろうと思う。

そもそも、家にいる時間がとても少ない。言い換えると、地域に接続している時間が少ないのだ。1時間ほどかけて通う会社組織のほうが、つながりが深い。そこには多くの「地域との接続の薄い人」が集っていて、濃密な接続をしている。経済活動の中心地だ。

歴史を遡れば、地域は生活の基盤であり、経済の中心であった。江戸時代も明治も大正も昭和も、わりと小さなコミュニティの中で経済が回っていた。その分だけ、つながりが強かったのかもしれない。みんなが小さな商売をしていて、小さいからこそ経済力も弱くて、だからこそ「お互い様」の精神でなければ社会が成り立たなかった。

経済発展のためには、規模の拡大が必要。それと引き換えに地域でのつながりが薄くなった。というと、極端かもしれない。もちろん、規模を拡大しても地域とのつながりを保っている人もいる。けれども、大きな流れとしては、こうした構造が生まれたと認識できるではないだろうか。

経済によるつながり。もしも、それが人と人との接点だとしたら、地域のつながりが希薄になるのは当然の結果だ。もう何年もの間「地産地消」運動というのが各地で展開されているのだが、この本当の目的は「地域のつながり」を取り戻そうという試みなのかもしれない。

地域のつながりは、互いの顔が見えること、お互い様の精神で助け合うことになる。災害や犯罪への対策としては、これがとても重要になるはずだと思っている。土手を作るのも、避難所を整備するのも、見回りを強化するのも大切だけれど、最後は地域社会の互助が肝になる。現に、被災地のその後は地域の互助によって支えられているという。

経済的なつながりを地域に取り戻そうとすると、今度は経済規模が縮小することになるのだろうか。今回は、わかりやすくトレード・オフの関係として論を展開してみたのだけれど、これはあくまでも試みでしかない。本当は、トレード・オフの関係ではなく、現代に適したバランスのとり方があるのかもしれない。

いや、現行の経済の仕組みに合わせたカタチで地域のつながりを強くする仕組みが必要なのか。それとも、完全なる不干渉の社会を作り出すのか。

今日も読んでいただきありがとうございます。地域のつながりのことを考えると、お祭りっていうのはけっこう重要な機能なんだよね。そこにいて、同じ法被を着ているってだけで仲間の感じがするもの。参加して、久しぶりに友達に会うと、たいていは近況報告から始まるんだよね。そういう時間って大切。祭りと食文化って緊密な関係にあるから、一緒に飯を食う機会を作るのも良いんだろうな。芋煮会みたいなやつ。

タグ

考察 (304) 思考 (227) 食文化 (222) 学び (169) 歴史 (123) コミュニケーション (120) 教養 (105) 豊かさ (97) たべものRadio (53) 食事 (39) 観光 (30) 料理 (24) 経済 (24) フードテック (20) 人にとって必要なもの (17) 社会 (17) 経営 (17) 文化 (16) 環境 (16) 遊び (15) 伝統 (15) 食産業 (13) まちづくり (13) 思想 (12) 日本文化 (12) コミュニティ (11) ビジネス (10) 美意識 (10) たべものラジオ (10) デザイン (10) エコシステム (9) 言葉 (9) 循環 (8) 組織 (8) 価値観 (8) ガストロノミー (8) 日本料理 (8) 視点 (8) マーケティング (8) 仕組み (8) 仕事 (7) 営業 (7) 日本らしさ (7) 妄想 (7) 構造 (7) 社会課題 (7) 社会構造 (7) 飲食店 (7) 観察 (6) 認識 (6) 持続可能性 (6) 教育 (6) 組織論 (6) イベント (6) 食の未来 (6) 体験 (5) 挑戦 (5) 伝える (5) 食料問題 (5) 落語 (5) 未来 (5) イメージ (5) スピーチ (5) レシピ (5) 成長 (5) 働き方 (5) 多様性 (5) 構造理解 (5) 解釈 (5) 掛川 (5) 食糧問題 (4) 盛り付け (4) 文化財 (4) 味覚 (4) 言語 (4) エンターテイメント (4) 学習 (4) 食のパーソナライゼーション (4) ポッドキャスト (4) バランス (4) 自由 (4) サービス (4) 食料 (4) 表現 (4) イノベーション (4) 語り部 (4) 土壌 (4) 世界観 (4) フードビジネス (4) AI (4) 変化 (4) 誤読 (4) 食品産業 (4) 伝承と変遷 (4) 食の価値 (4) 技術 (4) 情緒 (4) 民俗学 (3) 会話 (3) 魔改造 (3) セールス (3) 話し方 (3) プレゼンテーション (3) 効率化 (3) 情報 (3) 自然 (3) 感情 (3) 民主化 (3) 修行 (3) マナー (3) チーム (3) 温暖化 (3) 行政 (3) 和食 (3) 栄養 (3) チームワーク (3) 変化の時代 (3) 産業革命 (3) 作法 (3) メディア (3) 食品衛生 (3) 認知 (3) 健康 (3) 変遷 (3) 代替肉 (3) ルール (3) 外食産業 (3) ごみ問題 (3) テクノロジー (3) アート (3) 身体性 (3) (3) 人文知 (3) エンタメ (3) 慣習 (3) 料理人 (3) 研究 (3) (3) 味噌汁 (3) おいしさ (3) ハレとケ (3) 感覚 (3) パーソナライゼーション (3) トーク (3) 水資源 (2) 道具 (2) 生活 (2) 生活文化 (2) 家庭料理 (2) 生物 (2) 衣食住 (2) AI (2) 伝え方 (2) 科学 (2) メタ認知 (2) ロングテールニーズ (2) (2) 山林 (2) 腸内細菌 (2) 映える (2) 誕生前夜 (2) フレームワーク (2) (2) 婚礼 (2) 料亭 (2) SKS (2) 飲食業界 (2) 思い出 (2) 料理本 (2) 笑い (2) 芸術 (2) 明治維新 (2) 俯瞰 (2) 才能 (2) ビジョン (2) 物価 (2) フードロス (2) 事業 (2) 工夫 (2) ビジネスモデル (2) 創造性 (2) 心理 (2) 接待 (2) 人類学 (2) キュレーション (2) 外食 (2) 茶の湯 (2) 旅行 (2) 共感 (2) 読書 (2) 流通 (2) アイデンティティ (2) (2) 気候 (2) サスティナブル (2) 食料保存 (2) 電気 (2) 行動 (2) 常識 (2) サスティナビリティ (2) 合意形成 (2) 産業 (2) オフ会 (2) ビジネススキル (2) (2) 儀礼 (2) 農業 (2) 食材 (2) 習慣化 (2) 産業構造 (2) 文化伝承 (2) 食料流通 (2) 地域経済 (2) ガストロノミーツーリズム (2) 身体知 (2) 伝承 (2) 言語化 (2) 発想 (2) 夏休み (2) 五感 (2) 社会変化 (2) 思考実験 (2) 郷土 (2) ガラパゴス化 (2) SF (2) 報徳 (2) 地域 (2) 食品ロス (2) 哲学 (1) 補助金 (1) SDG's (1) 食のタブー (1) 江戸 (1) SDGs (1) 幸福感 (1) 行事食 (1) 季節感 (1) 日本酒 (1) 弁当 (1) パラダイムシフト (1)
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

-今日のエッセイ-たろう
-