今日のエッセイ-たろう

文字を書くということ。身体で磨く感性。 2025年7月4日

手書きで文字を書くことって、もうあんまり無いのかな。ぼくは「手書き」が好き。だから、たべものラジオの台本だって、手書き。タブレットに書き込むスタイルだから、紙に書くのと比べると心地よさが少ないけれど、なんとなく行為そのものが好き。ちょっとしたことをボールペンで紙に書きつけることもあるし、献立を考えるときには鉛筆に持ち替えることもある。なんだろうな。感触が好きなのかもしれない。

とは言え、文字数でカウントすれば圧倒的にタイピングのほうが多い。ぼくはやらないけれど、人によっては音声入力の方が良いという人もいる。近年は認識精度も高くなっているし、なによりAIがある。AIツールに向かって喋ると、それを文章として上手くまとめてくれるというのだ。AIがまとめた文章を元に、更にコメントを追加していけば、かなり精度の高い文章にまとまるそうだ。

少しばかり試してみたけれど、これはたしかに便利だ。ぼくが言葉を紡いでいくよりも、ずっとスマートでスッキリしていることもある。慣れるまではちょっと面倒くさい気もするけれど、効率を考えたら自分で文章を書くよりも良いかもしれない。ただ、ぼくはやらない。いや、ケースバイケースかな。エッセイを書くのは、楽しみでもあるし、自分の思考の整理でもあるし、文章を書くというトレーニングでもある。なんというか、せっかくの「楽しみ」を手放す理由なんて無いわけだ。

手書きで文字を書くときには、いろいろと気を使うことが多い。文字そのものの形に、止め・ハネ・はらい、前後の文字のバランス。それに、まっすぐ書くということだってなかなか難しい。人によっては煩わしく感じられるだろう。

小学生の書き取り練習では、結構こまかいところまで採点されるはず。止め・ハネ・はらいは、チェックされるポイントだろうと思う。それは、文字そのものを学ぶ場だからだ。じゃあ、作文などの文章を書くときにはどうだろう。人によっては自由に思索したり、創造したりといった場合には細かいところをチェックするべきではないという考え方もあるらしい。そもそも、文字を書くことが少ないのだから、目くじらを立てることもあるまい。

確かにその通りではある。だが、同時に本当にそれで良いのだろうか、という疑念も浮かぶ。

止め・ハネ・払い。これに書き順を付け加えて考えても良いが、結局いつかの時代に誰かが決めたものだ。文字なんてものは、意思伝達の道具でしか無いのだから、道具として機能しているのならばそれで構わないじゃないか。それはそうだ。あまりにも字が汚くて読めないのというのであれば、それは機能を喪失しているわけだから修正の必要があるだろうけれど、ちゃんと伝わるのならばそれで構わない。

一方で、文字はきれいな方が良い。キレイというのがどういうことかを身体的に知ることも大切なことだろうと思うのだ。絵画でも漫画でも良いのだけれど、表現というのはなにかしらの感性や美意識の発露だろうと思う。自分個人としての感覚、生まれ育った環境や文化に影響された意識、他者の感覚。それらの交点を自分なりに見つけて落ち着いていく。そこを出発点として、世界をどう捉えていくかということなんだろうなと、薄ぼんやり考えているのだ。で、そうした感性は、生まれながらにもっているものもあるだろうけれど、ある程度は身体性をもって集積したり磨いたりしていくことになるのだろう。

感性を磨くのに、文字である必要は無い。絵を描いたり楽器を演奏したり、素敵な景色を見るのもいいし、美術館に通うのも良いだろうね。解説を見聞きするだけじゃなくて、体験することが肝心なのだ。そういう意味では、文字というのは前述のどれよりも身近で、実践機会が最も多いと言えるので、体験としてとても都合がいいんじゃないかと思う。ぼくなんかは、料理だとかポッドキャストだとか、クリエイティブな仕事が多いからね。特にそう思うのかもしれないけど。

あと、細かいところに気を配れるっていうのは良いよね。いや、良いんじゃないかと思うんだ。一見些末に見える部分でも手を抜かない。メリハリが効いていて、ちゃんとしてる。そういう丁寧さって、たぶん日本のものづくりのベースとなる精神。それが、世界的にも高く評価されているわけでしょう。

そういうのも全部が手書き文字と繋がってるとまでは言わないけれど、日常的に丁寧さが鍛えられるとは思うんだ。で、日頃からそれが癖になっている人は、動きがとても滑らかなんだよね。頑張らなくても丁寧、とでも言うのが良いかな。「頑張れば丁寧にできる」のと、「頑張らなくても丁寧になる」というのは、なにか大きく違う気がするんだ。よくわからないけど、仕事を任せるならどっちを選ぶ、みたいなシチュエーションでも違う気がするだよね。

手書きが好きだ。という気持ちがあるから、偏った意見になってしまうのだけど、それでも効能もあるのじゃないかと思っている。

今日も読んでいただきありがとうございます。小学生の作文が採点されるのかどうかは知らないけれど、もし採点されるのならば「止め・ハネ・はらい」まで採点対象にしなくても良いとは思うんだ。ただ、せっかく気がついたのなら修正してあげたら良いと思う。そのほうが、本人のためになるんじゃないかな。点数とは関係なくね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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