昨年大ヒットした映画「スーパーマリオブラザーズ」に娘がハマっていて、オンデマンドで何度も見ている。よく飽きないものだと思うのだけれど、子供の頃というのは気に入ったものを何度も楽しむものなのだろう。遠い記憶だけれど、ぼくにも覚えがある。
映画を見ていていくつか気がついたことがあるので、その話を書こうと思う。
水道修理の依頼を受けたマリオ&ルイージ兄弟は、初仕事に意気込んで飛び出していく。ところが、車に乗ったは良いもののエンジンがかからない。仕方がないので、走って向かうことにする。歩くのではなくて走り出す、というのはゲームの世界を彷彿とさせる。
道を曲がったところで、二人は唖然とする。おそらく目的地までの最短ルートなのだろうけれど、そこは道路工事のために封鎖されていたのだ。そこで、マリオは金網を乗り越えて工事現場を突っ切っていく。かつてファミコンで何度もゲームをプレイした記憶が、ぼくの中で蘇る。走ってジャンプして、ポールに飛びついてスルスルと降りてくる。そんなシーンだ。
強引に乗り越えるという設定は、ゲームの世界観を表すための演出であることは重々承知の上で、あえてちゃちゃ入れをしてみる。
普通に考えれば、立入禁止となっているゾーンに強引に乗り込んでいくことはなさそうに思える。中では多くの人達が働いているし、その人達が通過することができる程度には通路が確保されているわけだ。よほど急いでいる事情があるのならば、働いている人に声をかけて通過させてもらえるように交渉する。二人くらいは通してくれるかも知れない。
もっと一般的に考えれば、迂回するだろう。ニューヨークのブルックリンが舞台だから、けっこう網の目のように道路があるはず。ほんのワンブロックの迂回ならば、さほど大きな時間のロスにはならないような気がする。というか、ぼくならば迷わず迂回すると思うんだ。
と、こんなことを考えてしまうのも、何度も同じ映画を見ているせいだ。繰り返しているうちに、細かい描写に目が行ったり、余計なことを考えるようになってしまったらしい。で、気がついたのはぼく自身の性分。どうも、諦めるのが早いらしい。
諦めるというのは、事業やチャレンジのことじゃなくて、時間や労力のこと。例えば、会社の事業でも不測の事態が発生するのは通常のこと。だから、最短ルートを想定しながらも、想定外のことが起きることを想定していくつかのオプションも用意しておくわけだ。
結果として最短ではなくなるけれど、仕方がない。と諦めるのが早い気がする。しょうがない、もう少し自分の作業時間を増やせばカバーできる。とか、コロナ禍で経営が悪化したことで資金調達条件が厳しくなったのなら、やり直せば良い。といったふうに考えてしまう。面倒なことが嫌いな割には、自分自身の時間を投資することに躊躇がないらしい。
もっと工夫してうまいことやる。そういう思考法も無いわけじゃない。そうした時にこそ、知恵が働くというものだ。ただ、その割合が偏っているのだろう。工夫して効率化することと、時間を割いて頑張ることの割合。それが、ぼくの場合は後者の比率が高いのかもしれない。良し悪しあるのだけれど、たべものラジオのコンテンツ制作に関しては、躊躇なく時間を投入する姿勢は役に立っていると思う。
今日も読んでくれてありがとうございます。ちなみに、弟は前者の割合が高いようだ。二人だからこそバランスが取れるということもあるのだろうな。いつも、映画をこんなふうにこじらせて考えるのわけじゃないよ。毎日のように何度も見ると、そうなっちゃったというだけ。