「ブッダの耳錯覚」という言葉を聞いたことがあるだろうか。自分の耳が、まるで仏像の耳みたいに伸びたと感じるという錯覚である。やり方は簡単。二人一組になって、相手の耳たぶをつまんで軽く下に引っ張る。それと同時に反対の手で、耳が伸びたらこんな感じだろうという動きをする。右手で耳をつまんだら、左手を耳から胸元にかけてスライドするだけ。端から見れば、一体何をやっているのだろうと思うのだけれど、不思議なことに耳を引っ張られた本人は「見えない耳が伸びている感覚」になるのだという。
感覚も、けっこうあてにならない
ロジックばかりではなく、もっと体で感じた方が良い。といった具合に、身体感覚の重要性を謳うことがある。たしかにその通りだと思うのだけれど、同時に感覚ってとってもテキトーだということも知っておきたいところ。
ぼくらが見ている世界は、立体だ。と思い込んでいるけれど、ぼくの目は平面画像しか認識できない。だから、触れたり動いたりして世界は立体的だと認識する。そういうことを繰り返していくうちに、人間の脳は「見えているものは立体だ」と思い込むようになり、”立体らしく”感じられるように補正している。
味覚だって同じようにあてにならない。他の誰が美味しくないと主張しても、体に刷り込まれた記憶が「これは美味しい」と訴え続けることもある。ある時は美味しいと思ったものでも、別の日に食べたときには美味しいと感じないこともある。
習慣によって固定されることもあれば、体調や気分や気候によって変動することもある。味覚なんてそういうものだろう。
一緒に揺れる
料理を作っていても、たぶん味付けは一定じゃないだろう。調味料は量るけれど、それで最後は自分の舌で味見をして決める。簡単に錯覚を起こす肉体が「これだ」と決めるのだから、常に一定であるはずがない。にも関わらず、長い目で見れば安定しているように感じる。これは、食べる人もつくる人も一緒に揺れているからじゃないかと思う。
寒さや暑さ、湿度や天気などを共有しているからこそ起こることなのだろう。同じ船に乗って一緒に揺れているようなものだ。船は揺れているし、乗っている人も揺れている。だけど、同じ船に乗っている人同士は、あたかも互いが静止しているかのように感じられる。
しっかり固定するとどうなる?
食品加工業は、大量に食品を生産する。商品価値や生産効率を考えると、すべてのロットで味が一定であることが求められる。ホントは、みんなが「味はブレるものだ」と思っていれば良いのかもしれないけれど、今のところそうではない。
だから同じものを食べ続けると飽きるのではないか、と想像している。一緒に揺れてくれないから、その日の気分に合わないと美味しいと感じられない。
かつて世界中の多くの文化圏で、日常の食事はほとんど同じものを食べていた。ちょっとずつ微妙に変わるけれど、ほとんど同じメニュー。それしかなかった、と言えばその通りだし、我慢していたのかもしれない。ただ、ぼくの体験からすれば毎朝同じ朝食を食べることに「飽きた」という感覚はなかった。単純に「そういうものだ」と思っていたからかもしれないが、味付けが一緒に揺らいでいたからかもしれない。
一方で、毎日同じコンビニ弁当を食べるとなったら、ある種の苦痛を覚える人もいるかもしれない。それは、もしかしたら料理に揺らぎが無いことが原因の一つかもしれない。料理が一緒に揺れてくれないから、自分の揺れとの差分を大きく感じる。ある時は美味しいと思うけれど、別のときには全くそう思えない。だから、あれこれと選ぶことになる。そのために選択肢が必要になる。ということもありそうだ。
世界一のグルメ民族
現代の日本人はとても多様な食を享受している。ほとんど毎日違う料理を選んでいるのじゃないだろうか。大昔から食に貪欲なグルメ民族であるから、それは自然なことだろうとは思う。徹底的に追求するオタク気質の国でもあるから、コンビニ弁当は世界最高レベルの美味しさを実現しているし、大抵の飲食店は「おいしい」に分類される。
あまりにいろんな食のレベルが上がりすぎて、そろそろ天井にぶつかりそうだ。「おいしい」に慣れすぎてしまって、「すごくおいしい」との差分が小さくなっている気がする。グルメ民族にとって、とても幸せなことだ。ただ、差分が小さいということは「おいしさの幸福」は小さくなってしまう。
さて、そうなると料理人や食品メーカーはさらなる研究に勤しむことになる。この姿勢が食文化を豊かにしてきたのだろう。そうして生まれた日本の食文化は、世界から高い評価を受けている。ただ、もし本当に「おいしい」に上限があって、それに近づいているとしたら、と思うと少々恐ろしくもある。伸びしろがないのだ。ずっとおいしいものを食べられる幸せはあるけれど、特別な日の食事に対する感動が薄くなり続ける可能性もある。はてさて、この先どうなるのだろうか。
今日も読んでいただきありがとうございます。
錯覚って、凄い能力だと思うんだ。同じ味なのに、視覚情報や背景にあるストーリーでおいしさの感じ方が変わっちゃう。「絶対値としてのおいしさ」があるとして、それに近づき続けていたとしても、「いろんな錯覚があるからずっと楽しい」ということもある気がする。