今日のエッセイ-たろう

「ゆらぎを愛でる」という文化が生み出す食。 2024年7月8日

ひとりで、ぼんやりと外の景色を眺める。あまりそんな機会はないのだけれど、ふとした時に庭とその先に見える池や山、耕作放棄された茶畑。代わり映えのないいつもの景色だが、どういうわけか眺めていられる。不思議なことに、スマホに気を取られることもないし、頭の中を思考がぐるぐると駆け巡ることもない。ただただ眺めるという体験は、有りそうでいてなかなか無いようのではないだろうか。

これは、どうやら、ぼくだけの感覚じゃないらしい。というのも、一人で来店されるお客様のうち半数ほどはスマホに目をやっているのだけれど、残りの半数ほどの方は、ぼくと同じ様に「窓の外を眺める」ことに漂っている。なぜだろう。なぜ、インプットもアウトプットも無い状態になれるのだろう。もしかしたら、登山やキャンプなどで自然の中に入るという行為は、「ただ有る」という状態にいざなう「なにか」があるのかもしれない。などと思ってもみる。

ひとつ思い当たるのは、「再現性がない」ことだろうか。数学的に乱数を作り出すのは難しいらしいと聞いたけれど、葉が揺れるとか鳥がさえずるとか、水面が揺らぐとか、それらがいくつも現れる景色は、途方も無いほどの乱数に満ちているのかもしれない。全くの予測不可能性。それがぼくらを惹きつけるのだろうか。なんの根拠もないけれど、二度と再現されれない景色には憧れのようなものを感じている。

再現性がゼロに等しい。というのは、貴重であるということと同じ様に考えてしまいそうだけど、それとも違うような感覚がある。世界に一つだけのモノはたしかに貴重だけれど、眼の前の波はそうではない。二度と再現されないけれど、現象を引き起こしている要因のひとつである物体は有り続ける。そこに有る。ということと、それが作り出す無限の乱数とは別の存在として認識されるのだろうか。動きに惹きつけられているということなのだろうか。

ビジネスとは、再現性が求められる。全てではないだろうけれど、基本的には再現できないものは商品にならない。どんなに素晴らしいアイテムを作り出したとしても、全く同じか、それに近いものを再び生み出さなくてはならない。工場で作り出されるネジは、変化があってはならないし、加工食品もサンプル通りでなければならない。料理人は、全く同じものを作り出すことはないけれど、お客様が期待する価値を担保し続けなければならない。時々めちゃくちゃ不味い料理を提供するようではビジネスにならないのだ。

料理人もそうだけれど、ミュージシャンも陶芸家も画家もゆらぎがある。スポーツ選手もそうだ。一定の期待されたクオリティは担保しなければならないという意味では再現性が求められるのだが、具現化されるもの自体にはゆらぎがある。もしかして、この「ゆらぎ」に魅力を感じているのだろうか。まるで、浜に打ち寄せる波や、ゆれる木々の姿に憧れを持つように。

クオリアは変わらない。けれども、ゆらぐ。

冷凍食品や、コンビニのお惣菜はとても美味しい。いつ食べても、変わらない味で安心感がある。全てとは言えないけれど、日本のそうした加工食品は素晴らしい。けれども、世の中にはある一定の批判がつきまとう。それは、手抜きだとか味気ないだとか言われることもあるけれど、もしかしたら「ゆらぎ」の無さなのかもしれない。窓の外に見える自然の景色ではなく、ぺたりと張り付いた静止画のような感覚。美しい風景写真は素晴らしいものだけれど、ずっと眺め続けているには限度があるのかもしれない。季節が変わってもずっと同じというのは、魅力が薄いと感じてしまうのだろう。加工食品は、理性で判断されるだけではなく、ゆらぎを愛でる感性と付き合わなければならないということになる。

今日も読んでいただきありがとうございます。日本料理って、「ゆらぎを表現する」という世界観にあるような気がするんだよね。魚や野菜の状態に合わせるからかな。素材の状態によって味付けは変わるし、調理方法そのものを変えちゃう。まぁ、和食に限らないかもしれないけどね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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