今日のエッセイ-たろう

「一見して面倒で手間のかかること」をやり続けること。 2023年12月29日

料理を作る。一言におさまる行為だけれど、それぞれの工程を分解してみるとけっこう細かい作業顔多い。世界中のあちこちで行われていて、まったく調理に携わった経験が無いという人類のほうが少ないくらいなんじゃないだろうか。何十億という人が、ほとんど毎日食事のための作業を行っている。

調理そのものをビジネスにしていると、更に調理工程が増える印象がある。もう少し手をかければ美味しくなるのだけれど、面倒だから省略するか。ということが無い。やれるものはやる。めんどくさいことをやるからこそ、価値が生まれて対価をいただけているという側面もあるような気がしている。もちろん、研鑽を積んだ分だけ知識や知恵があり、それを体現するための技術が対価に還元されるはず。ぼくの場合は、前者の感覚が強いかな。このあたりは、性分だろう。たべものラジオにもそれが反映されているかも知れない。

細かいことをコツコツやるなんて、マメだよね。すごいなあ。とても真似できそうにない。と言われることがある。きっと褒めてくれているのだろうとは思う。だけど、正直なところいまいちピンとこない。だってね。料理を完成させるために必要な工程なんだから、大変だとか面倒くさいだとか、そういう感情がないのだ。必要なことを、やる。それだけ。実に淡々としたものである。

よく知らないのだけれど、だいたいモノづくりをしている人って似たような感覚なんじゃないだろうか。もっと横着できるかも知れないけれど、そうするとクオリティが下がるのなら横着しない。世の中には様々なクオリティのモノが溢れているが、その違いが生まれているのは、目指しているゴールが違うからである。と断定することは出来ないけれど、職人はだいたいそんなものじゃないかと思うんだ。

一見面倒くさいと思えるほどの工程。それには、相応のスキルも必要だけれど、時間もかかる。一品仕上げるのに数時間なんてこともザラ。こうした作業を行う人と、客観的に見ている人との間には感覚の差がある。というのがここまでの話。では、この違いはどこから生まれてくるのだろうか。

その仕事についているから?その仕事に精通した技術を持っているから?情熱を持っているから?このどれもが合っているようでいて、どれもが違うような気がする。もっとこう、なんというか「しょーがねぇなぁ。やるかぁ」くらいの間の抜けた感覚があるのだ。そう、これは覚悟である。

食材の端切れ。それは野菜の皮だったり、切り屑だったり、魚の骨だったりと様々だ。お客様に提供できる部位でも、分量外のものは余ってしまうこともある。で、それらをぼんやり見ていると、「あぁ、こんなふうに加工すれば美味しくなりそうだ。」「こうすれば長期保存が出来そうだ」などと思いついてしまう。思いついてしまったが最後、「しょうがない、やるか。だって思いついちゃったんだもん。」である。

ポイっとゴミ箱に放り込むのはいとも容易い。だけど、覚悟しちゃったんだ。とにかく食材を無駄にしない。いつ頃から伝えられ続けているのか知らないけれど、僕らの業界では厳しくしつけられていた。最近は伝承が薄れてしまっているらしいのだけど、ぼくにとっては寂しい事実である。

調理に関する技術や知見のうち何割かは「余ったものを美味しくする」ために存在しているのだと思う。歴史を振り返ってみても、やっぱり「無駄にしない」精神から発展したんだろうなと思える事象を見かけることがある。個人であっても、産業であっても、ね。社会環境が今と違うから、もったいない精神が強かったのだろう。それは、自然に覚悟を促すことになっていたのじゃないかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。経営者の仕事のひとつに「決断」がある。いろんなパースを総合して判断しながら決断を行うわけだけれど、やっぱりどこかで「覚悟」が求められるんだよね。と、なんとなく、ぼくなりに思っている。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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