今日のエッセイ-たろう

「料理は科学」について、いろいろと解釈を考えてみる。 2023年4月20日

料理は科学。というと、なんだか急に料理を作ることが難しいことのように思えてくるから不思議である。理系の人からすると、それは逆なのだろうか。論理的にわかりやすい規則性を示すもの。そんな風に捉えられるのだろうか。

料理を科学として捉えるとき、科学的根拠に基づいて示される調理方法などが思い浮かぶ。タンパク質を加熱すると凝集して固くなるとか、アルカリ性や酸性の食材の取り扱いをどうするかとか、そんな話。調味料を加える順番として知られている「さしすせそ」は、分子の大きさの順番でもある。分子の大きい砂糖は、より分子の小さい塩で味付けをした後には味が染み込みにくいという話。

そういった科学もあるのだけど、もっと感覚的で実験的な試みも科学的だと言えると思う。突き詰めれば、科学というのは再現性を求める姿勢でもある。どれとどれを組み合わ合わせれば、これが出来る。その条件はこのような状態。という決まりごとの集積。Aという物質にA'という特性がある、と断言しているのも反証がないからだという実証の積み上げだろう。そういう意味では、調理というのは科学的姿勢そのものだ。

味付けの順番など、分子のことを少しも知らなくても経験で観測することが出来る。とにかく、何度も何度も繰り返して実験してみて、結果として甘みは先に味付けしたほうが良いということがわかる。どんな料理レシピもテクニックも、いつか誰かが、たくさんの失敗をしながらたどり着いた再現可能な法則である。

偶然、見たことも聞いたこともない食材を手に入れたとする。インターネットで調べれば、それが何かくらいはわかるだろう。ただ、自分で料理するために、その食材のことをもっとよく知らなくてはならない。だから、生で食べてみたり、茹でたり、焼いたり、揚げたりして、その食材がどんな特徴を持っているのかを観察するのだ。料理をする時に、こまめに味見をするのはそのせいだ。例えば、刺身にするための魚だとしても、それがどのような味わいの個体なのか、必ず確認する。場合によっては焼き物にすることもあるだろうし、下ごしらえや醤油の味付けを変化させるかもしれない。そんなことを毎日繰り返すのが料理を仕事にしている世界の日常だ。

種類や個体の特性を掴んだところで、いざ料理してみると思い通りにいかないことも日常茶飯事だ。ほうれん草に似たような野菜を手に入れて、単体で食べてみると生よりも茹でるほうが美味しいということがわかったとする。だからといって、煮物に入れた時に必ずしも美味しくなるとは限らない。他の食材との相性もあるのだ、場合によっては邪魔になることだって十分にある。

素材に関しては、いろんなパターンをひたすら繰り返して、それが何者なのかを解明していくのだ。

膨大な実験とも言える調理事例をもとに、ある程度のパターンが発生する。科学的工作で言えば、いくつか素材と手順を繰り返すと電気を生み出すことが出来るとか、それを蓄える電池が出来るとか。ロードマップを描くと、それぞれの科学的な言葉は暗号のように見えるけれど、手順だけは理解できる。電気を人為的に生み出すには、強力な磁石が必要だ。磁石を手に入れるためには、鉄の棒に雷のような強力な電気を与える必要がある。鉄の棒には、銅線などを巻き付けておくとしたら、その銅線を用意しなくてはならない。などといった、細々とした手順がある。一から作り上げるとしたらそういうことになるだろう。

既に出来上がったモノを活用して、新たなものを生み出していく。科学でなくても、社会はそのようにして積み上がってきた。電気をコントロールすることが当たり前になったからこそ、電気を使った仕組みが生み出される。電池という概念が存在するからこそ、電気自動車という発想が生まれる。

豆腐を使う料理のレシピは膨大にある。日本料理だけでなく、世界中からかき集めてくれば豆腐百珍が何冊も作られることになるだろう。それは、豆腐というものが既に存在している世界だからでもある。そもそも、飲食店で本格的な豆腐を作っているところは無い。あったとしてもごく少数である。自動車メーカーが自らバッテリーやタイヤを生産することがないように、その部分は専門家が作っているものを取り入れるのだ。やることは、作ろうとしている自動車に最適のバッテリーやタイヤをチョイスすることであって、それが肝要だろう。

科学者という人たちは、再現性を求めるから、料理レシピにも再現性を求める。もっと精緻なレシピが欲しいという。たしかに、「弱火」とか「少々」などという曖昧な表現は、科学実験には登場しないし、料理をしていても困ることもある。そういう側面から見ると、再現性の解像度が低いのが料理なのだと思う。だいたい、素材の種類が膨大にありすぎるのだ。たとえ名前が人参であっても品種によって異なる味だし、品種が同じでも地域によって味が違うし、土や気候によって異なるのだ。細かく見ていくと、素材の側にも揺らぎがあって、常に一定の食材など手に入らないと思ったほうが良い。

さらに、評価もゆらぎがある。科学的に分析することは出来るだろうけれど、基本的には人間が食べて旨いと感じるかどうかが評価であるのが料理だ。その評価は、人それぞれだし、年令によっても異なるし、体調によっても異なるし、食べる環境によっても異なる。つまり、一連の流れの中で入口と出口にゆらぎがあるのだ。だから、それに合わせて中間工程も幅を持たせる必要がある。仮に、中間の工程をきっちりと決めてしまうと、かえって再現性が下がることになるだろう。素材によって味が変わるだけだから、料理の良し悪しは全て素材に帰結することになる。それは一面で真理ではあるけれど、一方で調理の工夫や微調整を排除することにもなる。だから、レシピは少しばかり曖昧なのかもしれない。

むろん、そこまで考えてのことではないだろうけれど、レシピにも幅を持たせておいたほうが、人間の新体制によって程よいところに収まる。そんなことを、経験的に知っていった上で現代のようなレシピが一般的になったのかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。どうでも良い話になったなあ。これを書き上げたら、料理の仕込みを始めるのだけど、一品を作るためにいくつもの料理をしなくちゃいけないんだよね。これって、科学工作のロードマップと似ているような気がしてさ。料理も科学も、積み上げだし根気なんだろうな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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