今日のエッセイ-たろう

どこまでミウチと考えられるかって話だろうな。 2022年11月20日

最近ツイッターで見かけたはなし。「朝8時過ぎからトラクターを動かしていたら、朝っぱらからうるせぇと怒鳴られた。」

農家さんなんだよね。怒鳴られたのは9時ころなのだそうだが、いつまで寝てるんだよ。と続く。

いやぁ、これね。いろいろと思う所あるよ。どうやら、うるさいと怒鳴った人は新興住宅地に入居してきた人らしいのね。農家さんは、もう何代も前からずっとそこで農業を営んでいる。

田んぼの隣に引っ越してきたわけだ。そのくらいのことは覚悟して置いたほうが良いと思うんだ。それ、線路の脇に引っ越してきて、鉄道会社に文句言うのと一緒だからね。

と、いうのがファーストインプレッションでの思考。

そうなんだよな。この感覚はブレることはないと思うんだけど、ちょっと引っかかるんだ。この発想だと、早いものがちみたいに見えるんだよね。そうじゃないだろうっていう気もしている。

なんとなく、先にいた人が優先という感覚になりがちなんだ。あとから来る人は、その場所以外にも選択肢はあるわけだからね。初めからそこを選ばなければ良い。けれども、仕方なくそこを選択するというケースも考えられなくもない。今回の事例とは異なるだろうけど、例えばその場所が格安の住居だとする。で、入居者の収入が低いとする。職場などの立地環境からすると、そこが最良の物件ということになる。だとすると、貧乏人は我慢しろっていう論理になるんだけどいいのかな。実際、ぼくがそうだったんだよね。若い頃に、線路脇のアパートに住んでいたんだ。近いというレベルじゃなくて、ドアを開けたら目の前に線路。始発が走り始めたら、もう電車の音が鳴り響く。通過中はテレビの音が聞こえないレベル。ぼくの場合は、まったく気にならなかったけどね。だって、理解した上でその環境をチョイスしたんだから。

ただ、このぼくの感覚は世間一般に通用するものなのだろうか。心情的には、怒鳴った人のことは放っておくに限る。黙ってろと言うくらいのものなのだがね。

知人の一人に、肥料を作って販売していたという人がいる。亡くなられた先代がはじめた事業で、現社長が引き継いでしばらくする頃には続けられなくなったという。ボカシという自然発酵による有機肥料を作っていたのだが、それなりに匂いがする。先代だって、そんなことはわかりきっている。だから、最初から人里離れたところに工場を作った。その方が、近隣の農家に近くて便利だってこともあった。

時代は変わって、バブルの頃。農家も世代交代が進み、一部では後継者が東京に行ったまま帰ってこないということもある。平成になるころまでには、工場の周辺にあった畑は継ぐ人がいなくなって、売りに出された。その土地を購入した不動産事業者は、宅地として販売。それなりにニーズがあったのか、他の畑や山を切り崩して宅地造成。結果として、いくつかの住宅に囲まれた工場となった。

怒鳴り込んでくるようなことはなかった。しかし、年に数回だけ朝早くから動かされるトラクターではない。毎日周辺に漂っている匂いである。周辺住民の声によって、その堆肥工場は廃業となった。

なんともやるせないのだ。この工場の堆肥が優良であることは、地元の茶農家や野菜農家がよく知っている。現在でも、この地域の茶葉は総理大臣賞や農林大臣賞を受賞するような茶葉を生産している。全てが堆肥のおかげというわけじゃ無いけれど、確実に貢献してきたわけだ。

しかし、そこに住まう人にとっては、それは別の話。そういうことになるのだろう。売りに出されたものを購入した。だったら、売るときにちゃんと伝えるべきじゃないかと思うんだけどね。不動産事業者が。了解の上で販売しないからなのじゃないかと邪推してしまうよ。

最初の話に戻ろう。どうもね。冷たい印象なんだよなあ。あ、もちろん怒鳴った人のほうがね。これ、子供が騒いだときにうるさいって怒る人と一緒なんだよね。自分が小さい。っていうと、器がちっちゃいヤツって聞こえるな。そうじゃなくて、自己の拡張が無いんだと思うんだ。

例えば、配偶者がいて子供がいて、つまり家族がいる。愛する家族は、自分自身ではないけれど、ほとんど自分なんだよなあ。文字通り、ミウチ。ミウチは自分自身。だから、我が子が癇癪をおこしても、それは自分自身のことなのね。愛情をもって対応することが出来る。必要な場合には、じっと見守るとか待つということだってある。そういうもの、ミウチだからなんだよね。

子供を持つ親同士は、比較的同調できる。というのも、お互い様だから。いや、もっというと同じ幼稚園に通う子供は、ちょっとミウチっぽい感覚がある。娘の友達も、いくらかは自分の娘のように感じているかもなあ。町内の人たちも、そういう感じでミウチなんだ。特に祭りなんかがあると、他町と町内という枠組みがあるからね。おっちゃんも子供もみんな知り合い。年齢関係なく遊ぶし、じゃれるし、叱るときは遠慮がない。それもこれも、ミウチだって感覚があるからだろう。

日本という国がずっとそうだったのかはわからない。だけど、結構長い時期をおっきな家族のように感じて暮らしてきたっぽいんだよね。歴史を勉強しているとそういうことが見えてくる。だから、多少のことはお互い様って感覚で、愛情をもって融通してきたんだろうな。協力もするけれど、言いたいことも言い合う。喧嘩もするけれど、一緒に酒を飲む。

そんな感覚でいられないもんかなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。とりあえず、社会の慣習として朝8時は良いよね。もうしょうがないじゃん。そういう世界だもの。社会のほとんどの人が、8時は早すぎるというのなら、それは対応しなくちゃいけないのかもしれないけれど。でも、だとしたら通勤ラッシュの時間帯ももっと遅くしてもらわなくちゃいけない。そんな時間の切り替えをするとか?でもそんなことになったら、日本の食料生産は更に低下するよ。農家さんがなぜ朝早くから動き出すか考えたらわかるよ。それが合理的であるからだ。なんなら、8時なんてのは遅いくらい。投稿者はかなり気を使って遅くしたのだろうね。普段は5時位から仕事しているみたいだから。その辺、よく考えてから「自分都合」を喚かないといかんよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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