あんまり気合を入れ過ぎるとろくなことはない。いや、ポッドキャストのことなんだけどね。ちゃんとしようという気持ちやら、うまいこと言ってやろうという気持ちやら、色々と邪魔をしてくる。余裕がなくなるのだろう。聞いていてもあまり面白くない。
カチコチの雰囲気は聞き手にも伝わって、なんだか肩が凝る感じがする。硬い話をするときほど気をつけたほうが良い。出演者同士の関係性だったり、リラックスした雰囲気が話を聞きやすくするということがあると思う。
気合いを入れ過ぎても良くないだろうけど、あんまり気が抜けていても良くない。話の内容がスカスカになってしまったり、ちっちゃなミスが増える。青い炎という表現があっているのかどうかわからないけど、やる気満々だけど、肩の力が抜けている感じが良いのだろうな。そういえば、スポーツとか楽器の演奏でも似たような経験をした気がする。
リラックスしていると、けっこう周りのことがよく見える。集中しすぎると、周囲の景色や音が消えるような感覚がある。視野でいったら、いい按配に見える範囲を調整するイメージかな。こういう感覚を言語化するのは難しい。
兎にも角にも、質の高いものづくりをしようと思ったら、そのための準備は欠かせない。リラックスしていても、自然にカラダが反応する。そのための準備だ。普段から何も考えていないとか、何も学んでいないとか、カラダの動かし方を練習していないとか。それじゃあ、大したことは出てこない。7割程度の力でアウトプットする。それでも高い品質を保つための事前準備。そんなところだろうか。
これがなかなか難しい。結構頑張っているつもりなんだけどな。いざとなると、気合が空回りする。そんなことはしょっちゅうだ。ポッドキャストに関しては、それでも200本以上の番組を配信してきたから、それなりに経験値も溜まってきている。おかげで、状態にかかわらずなんとか体面を整えられるくらいにはなったかもしれないけど、まだまだ反省することばっかりだ。
時々、飲食店のイベントに参加する。自分が料理を提供する場合もあるし、客として参加することもある。客に料理人がいっぱい集まっていると、ついつい方に力が入ってしまうらしくて、いつもよりも美味しくないと感じることがあるのだ。まずいというわけではないのだけれど、妙に手がかかりすぎていて素材の味を損ねてしまったり、料理の組み合わせのバランスが悪かったり、演出が過剰だったり、シンプルに量が多すぎるということもある。普段の料理を知っていて、そのクオリティが高いことを知っているだけに、ちょっと残念な気持ちになるのだ。
幸いなことに、うちには父がいるのでその心配は少ない。力量も経験値も、ぼくなんかよりずっと高い。余裕を持って気楽に作れるのだ。最近、父と酒を酌み交わしているときに聞いたのだけれど、気負わずに美味しいものを生み出すことのほうがずっと大事で、突き詰めていくと、実はそれが難しいのだという。最初からその考え方をするのと、色んなチャレンジをし続けてきたうえでたどり着いた境地では見える世界が違う。
高速道路で、時々猛スピードでかっ飛ばしていく車を見かける。猛スピードで先行車に追いついては詰まって、また前が空くと加速する。頻繁に車線を入れ替えてグイグイ抜いていく。そんな車をよそ目に、ふんわりと静かに安定して走っている車もある。本当に運転がうまいのだろうな。特にかっ飛ばしている印象もないのに、結局到着時間は早い。ぼくは、運転技術のことはよくわからないけれど、父の話を聞いていて、こんなイメージを持った。
言葉を選ばずに言えば、相手をちょっと舐めている。いや、実際にはそんなことはないのだけど、犬や猫と思い込むくらいの心構え。ステージに立ったら観客はかぼちゃやジャガイモだと思え、という話をきたことがあるけれど、それと似たようなものだ。普通にやっても大丈夫。自分はちゃんとスゴイんだ。って、一時的に思い込む。それを自信というのかな。そういうのが必要なんだ。やるべきことをちゃんとやっていれば、それが自信につながるというのはよく聞く話。それに、技量もないのに自信だけあるのもちょっと痛々しい。
今日も読んでいただきありがとうございます。なんのことはない。ぼくの反省をダラダラと書き連ねただけのことだ。しょっちゅう同じ反省をするものだから、一度文字にしてアウトプットしてみようと思ったんだよね。どう変わるかわからないけど、なにか効果があるんだろうか。