今日のエッセイ-たろう

不自由がクリエイティビティを生むのか? 2022年7月27日

飲食店として、会社として、ルールを設定する。まぁ、これはどこでもやること。細かなことを言い出したらキリがないくらい。細かく規定しているところもあれば、ほとんどないところもある。うちはかなり少ないかな。あんまりがんじがらめにしてしまうと、面白みが減ってしまうような気がしているからね。

とまぁ、キレイゴトのようなことを言ってしまったのだけど。家族経営だし、少人数なので大抵のことは話し合って解決するし、暗黙知が支配しているところもある。空気感が支配するという、実に日本人的なチームだ。良し悪しはあるけれど、それなりに機能している。

ぼくの経営者としての役割は、グイグイ引っ張ったり、仕組みを作ったり、することではない。ましてや、細かなルールを作って、従わせるというたぐいのものでもない。そうだな。例えるならロウソクの芯みたいなものなんだろうな。ふつうはそれが言語化されて企業理念になるのだけど、理念を体現する存在というのが理想。描きたい世界観をふんわりと醸し出す存在。

実際には、程遠いのだけどね。一応企業理念も言語化してある。財務も交渉もする。現場の運用も仕組みの構築も考える。じゃないと、崩壊してしまうから。属人的多能工であることは現時点で必要なのだろう。

こういう思想はさておき、ルールの話だ。

ぼくが、店に入って一番最初に設定したルールがある。「極力ゴミを出さない。どんなに客数が多くても、仕込みの量が多くても、45リットルのゴミ袋1枚に納めること」

条件なんかない。1日1枚。ただこれだけ。生ゴミも包装資材も割り箸も、全て含めて1枚に収めること。今日のゴミ袋に収まらなければ、翌日に回しても良い。ということにした。

実は、このルールを決めるまでには色々と考えたんだよね。単純にゴミを減らすことは良いことではあるのだけど、それ以外のことを包含するにはどうしたら良いかと。

翌日に持ち越しても良いけれど、それは負債を先送りしているようなもの。だから、あまり実行できないというのは気がつくことだね。結局、1日のゴミの量を減らすように工夫しなくちゃいけない。

そうなると、料理人は食材のゴミを減らすことを考えるようになる。とにかく捨てない。なるべく食べられるように工夫することを考えるのだ。大根の皮は当然として、魚のアラも、できれば内蔵も、お茶の出がらしも、とにかく捨てないことを考えなくちゃいけない。まかない飯にしてもよい。面倒なときは、昼飯の味噌汁に入れてしまえばなんとなく消費することは出来るんだ。けど、飽きるんだよね。それに、量が増えるとぼくらだけでは食べきれないということになる。じゃあどうするかというと、全部料理として使うようにするのだ。とはいっても、端材である。お客様が納得できるレベルに昇華させる必要があるんだよね。

これが、実はとても大切である。工夫せざるをえない環境を作り出す。端材ももれなく料理にすること。というルールを設定することは出来るんだけど、環境を生み出すことだけにしたのよ。そうすると、自ら能動的に工夫をし始める。食べさせてみて、「ほら美味しいでしょ、実は端材なんだよ。」というサプライズを仕掛けたくなる。これに驚くと、楽しくなってまたやる。こういう循環を作りたかったんだよね。

もちろん、ルール設定だけで機能するわけじゃないけど。それに、完全に機能しているとも言えないけど。それでも、意識はプラスに動いていることはわかるよ。

食べ残しも気になるようになった。もともと料理人っていうのは、お客様が何を食べ残したのかを気にする人種だ。それは、自分が作った料理がどのように受け取られたのかを知るための情報の一つだから。食べ残しが偏ったときは注意信号ということね。味が問題なのか、構成なのか、量なのか。そこに何かしらの問題があるから、食べ残しが発生すると解釈する。食べ残しが多いということは、ゴミを生産しているも同然。じゃあ、どうしたら全部召し上がってもらえるかということを考えなくちゃいけない。

量はとにかくぴったりちょうどいいを目指す。バブル期のように、余るほどたくさんが贅沢だという概念はない。ちょうどいいが、一番美味しい。

あと、添え物が料理の一つだと知らないお客様もいる。花穂紫蘇や菊の花びらは、「知らない」が食べ残させる代表選手かもしれない。菊の花びらなどは、試しに食べてみてと伝えると、「食べられるの?飾りだと思った。」「美味しい」と言ってもらえることが多いんだ。だから、伝えるということも大切になる。

この伝え方も色々あって。配膳のときに言葉で伝えることもあるし、あえて菊の花びらを使った料理を前菜に織り交ぜておくこともある。お浸しに混ぜておいて、自動的に食べてしまうようにしておく。食材だということを体験から掴んでもらえれば、次に同じものが提供されたときに食べてみるということをするだろう。という仕掛けね。刺身のツマでいえば、シソや大根が定番だけど、これもよく残ってくるのである。どんな工夫をしたら食べたくなるだろうか。食べて美味しいと感じてもらえるだろうか。そういう発送になるよね。

人間というのは、何かしら不自由な状態のほうが知恵が湧くのだと思うのだ。ボールを手で扱ってはならない。という、とても理不尽なルールを設定されたサッカー。だからこそ、足や頭や体の扱い方を工夫する。蹴りを封印した格闘技であるボクシングは、パンチの種類やタイミングなどが洗練されていく。肉を使ってはならないというのは、精進料理。だからこそ、植物性の食材だけでバリエーションを増やそうと様々な工夫が積み重なっていく。

なんでも自由ならば良いというのではないのだと、そういうことを考えさせらるんだよね。かと言って、あんまり制限すると違う方向に工夫してしまうこともある。法の抜け穴という発想はまさにそれよね。本質はそこじゃないよ。と言いたいところに労力をかけて工夫するなんてことがある。だから、範囲内に収まる程度のアソビを残しておかなくちゃ。制限が厳しければ厳しい分だけ、まるで反発するように工夫をする。

意図しなくても、人ってそういう生き物なんだろうなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。ルールというのは、工夫して楽しむためのものである方が幸せなんだよね。ホントはさ。雁字搦めじゃ苦しいし、反発も大きくなるから。ただ、これを実現させるためには、みんなが理念や理想を共有している必要があるんだろうなあ。こっちのほうが難しいか。ということは、沢山の人が学ぶ社会のほうが快適になるってことになるのか?どうなんだろう。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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