今日のエッセイ-たろう

全力で真似ようとすると、どんどん離れていく。 2024年6月17日

技術を習得するっていうのは、真似をするところから始まる。という話をよく聞く。まなぶは真似ぶ。守破離。背中を見て覚える。いろんな言葉があるけれど、だいたい似たようなニュアンスと捉えて良いんだろうな。

技術だけじゃなくて、考え方とか思想も構造的に似ている。この考え方良いなあと感じたら、それを自分に取り入れようとするのも一種の模倣。それから、思考方法をトレースすることだってある。例えば、尊敬する人物がいたとして、その人だったらどう考えるだろうと想像する。精度が上がれば、その分だけ近づけるような感覚。サラリーマンだった頃は、上司の思考をトレースしてたこともあるな。

これをちょっと失敗すると、悪い忖度になっちゃう。トレースしきれていないとか、トレースすることに終止してしまって、何も生み出さない。完全な模倣をするだけなら、本物以外はいらないというのが企業などの小集団における「考える人」。トレースしたうえで、その矛盾を指摘したり、穴を補完したりする。そんなことが求められるんだろうな。上司は短時間で答えを出さなくちゃいけなかったし、ぼくらはそれなりに時間をかけられたし。そういうバランスで働いていた時期もあった。

あんまり意味ないんだけど、ぼくは時々モノマネをして遊んでいることがある。いや、芸人さんみたいに本格的にネタをやるわけじゃないんだけどね。お酒を飲んでいるときなんかの会話のなかで、誰かがこんな事を言っててねぇというような流れで、パッと思い浮かんだら口真似を氏てみるっていうようなもの。なんの意味もない、ただの遊びだ。

中学生の頃からのクセかもしれない。テレビでモノマネ番組が流行っていたというのもあるかもしれない。クラスの中で、当時流行していた歌のモノマネをするのが流行っていて、何人かやたらとうまい友達がいたというのもあるかもしれない。ちょうど、世の中にカラオケボックスという、ホントにコンテナを使ったようなボックスが乱立していた頃。休みの日にみんなで集まっては、モノマネをしたりハモリを練習したり。いろいろ「うた」を楽しむ工夫をしていたんだろうな。

真剣に模倣をしようとすると、それはすごく大変な世界。料理でも味つけや盛り付け、包丁仕事など近づこうとして努力する。いろんな工夫をするのだけれど、近づけば近づくほどに、違和感が大きくなっていく。

いつだったか、絵を描く人とそんな話をしていたところ、似たような体験があるという。好きな画家の絵を徹底的に模倣させられたことがあるそうだ。好きな絵だし、尊敬もしているから楽しんで始めるのだけれど、何度も繰り返していくうちに違和感が大きくなっていくのだ。何度やっても線の太さが少しだけ違う。筆のタッチ、色、強さ、細かいところはぼくにはわからないけれど、突き詰めていくといろんなところの違いが見えてくるらしい。

そもそも、体が違うのだから同じになるわけがない。よく、親兄弟って歩く姿がにていると言われるけれど、それは骨格が似ているからだし、その骨格に沿って筋肉がつくから。文字だって、ある程度似た傾向があるのかもしれない。専門的に突き詰めていくと、より高い解像度で違いに気がついてしまうのだろう。

真面目な人ほど、それを乗り越えようと頑張る傾向にある。と言われたそうだ。徹底的な模倣は、最終的に「違う」ということを身体的に悟ることが目的なのだ。なるほど、個性とは抑えても抑えても抑えきれずに漏れ出してくるものという考えは、こういうところにあるのか。と感じた思い出だ。

今日も読んでいただきありがとうございます。恣意的なクセみたいなものが、なんとなく居心地悪そうに感じてしまう。あえて癖のある歌い方、喋り方をしてみせる。それはそれで有りなんだろうけど、ちょっとムズムズしちゃんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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