今日のエッセイ-たろう

写実よりも、真実を描く。 2025年6月17日

葛飾北斎の富嶽三十六景や、歌川広重の東海道五十三次は、みんな一度くらいは見たことがあるだろう。教科書にも載っているはずだし、あまり意識はしなくてもそこかしこのメディアで取り上げられる機会もある。現物の版画にお目にかかることは少ないけれど、幸いにして友人の営む飲食店に行けば、東海道五十三次がずらりと展示されているので、何度か拝見したことがある。鞠子宿にあるとろろ汁の店丁子屋は、広重の版画に描かれた姿をしている。そこに描かれた女性の姿を指差して、「何代か前のばあちゃん」と彼が言ったときには、思わず笑ってしまった。それと同時に、数百年続く老舗の重みを感じた。

東海道五十三次は、けっこう嘘だらけだ。嘘と表現すると言葉がきついが、実際に存在しないものが描か帰れているのは事実である。浮世絵に詳しいわけではないけれど、ぼくが住まう静岡県を描いた風景が多いので、それなりには土地勘があって、現実との差分がわかるというものだ。

箱根で描かれたのは芦ノ湖だけれど、その手前には険しく切りたった山がある。この山は、無いわけでないがもっと小ぶりだ。たぶん、天下の険と呼ばれた箱根を想起させるためにデフォルメしたものだろう。さほど急勾配ではない坂道だけれど、二子山から芦ノ湖へと続く坂道は「一気に湖に向かって下り降りる」と感じるのだと聞いた。それが実際の旅人の感覚なのだろう。印象をそのまま絵で表現したのだ。

蒲原の夜の雪は、もっと単純でわかりやすい。蒲原に雪が降ることなんて、基本的には無いと言ってもいい。江戸期は現代に比べると平均気温が低いし、もしかしたら蒲原あたりでも少しばかりは雪が舞うこともあったかもしれない。だからといって、ふかふかの雪が積もるほどの気温ではなかったはず。これじゃ、まるで越後蒲原だ。まさか、越後と駿河を取り違えることなんてないと思うが、どうなのだろう。

蒲原は、浄瑠璃姫の悲恋物語の舞台となった場所である。

三河に生まれた浄瑠璃姫は、身分を隠した源義経と出会い恋に落ちた。まだ義経が牛若丸と呼ばれた頃、都から奥州藤原氏の元へと向かう旅の途中のことだ。一夜をともにするものの、翌朝には義経は出ていってしまう。義経は、蒲原についたところで瀕死の大病を患い浜に倒れ込んでしまう。義経のピンチは彼の守り神によって浄瑠璃姫に伝えられ、命拾いをする。ここで義経は素性を明かし、互いに形見を交換したのであった。別れ別れになり、三河に戻った浄瑠璃姫は家を追い出されたが、義経との再会を心の支えに過ごすものの、ついには悲嘆に暮れて川に身を投じてしまう。後に、義経が軍勢を率いて京へと向かう途中に立ち寄るが、既に浄瑠璃姫はおらず墓所を訪れたとき、供養塔から姫の魂が飛び出して天に昇っっていった。という物語。

浄瑠璃といえば、人形浄瑠璃を思い浮かべる人も多い。文楽とも言う。京の文化だった文楽だが、18世紀の終わり頃になると江戸で演じられる人気なっていく。文楽のことを人形浄瑠璃と呼ぶのは、浄瑠璃姫物語が代表的な演目だからなのだが、元はといえば御伽草子にある物語のことで、歌舞伎などでも演じられる人気の演目。広重の時代には、一般的に広く知られた物語だったのだろうと考えて良いだろう。

蒲原の夜の雪は、奥州へ旅立った義経を思う浄瑠璃姫の悲哀を絵に託したものかもしれない。広重が何を思って雪の蒲原を生み出したのかはわからないけれど、状況を考えるとそんな想像も働く。現代人にとってはハイコンテクストだが、当時の江戸人にとっては難しいことではなかっただろう。実に豊かな感性で世界を見ていたように、ぼくには思える。

日本の文学というのは、とても面白い。写実的なありのままを描くのが素晴らしいというわけではなく、ありのままをどのように演出すれば情緒まで含めて伝えられるかを考えて創作する。そんな思想が根底に流れているような気がするのだ。

万葉集にある言霊、情景に思いを乗せた数々の和歌、土佐日記の日記文学、庭や生け花など。どれもこれもが、同じ思想を身にまとっているような気がしてならないのだ。

写真が真実の姿を表現していると思い込んでいる現代人は、加工された景色を見たらどう思うだろう。例えば旅行雑誌に、存在しない絶景が掲載されていたら、それはきっと、それなりに批判される。仮にそれが、その地域の特徴をわかりやすく情緒的に表現した作品だとしても、だ。もしそうなら、そうだとはっきり説明するか、わかりやすい構図で表現するより仕方がない。それは、写真は事実という前提が我々の中にあるからなのだから、そういう意味では写真よりも絵や歌のほうが情緒を織り交ぜるには向いているといえる。いまのところは。

今日も読んでいただきありがとうございます。茶畑や富士山といった風景を広重や北斎のような感覚で描いたらどうなるんだろうな。存在しない風景だとしても、人々の心象にまで踏み込んだ、情緒あふれる物語を一枚に閉じ込める。そんなイラストが、もしかしたら現代日本を紹介するキーアイテムになるかもしれないよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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