今日のエッセイ-たろう

天然肉とか狩猟採集のハイブリッドとか。 2023年7月14日

いつだったか、知人がやっているレストランのイベントに参加した時のことだ。その店はイタリアンとフレンチをベースとしていて、ジビエ料理を得意としている。どうやらジビエ料理には一定の理解が必要らしく、中には気持ち悪いとか臭いという意見もあるらしい。ちょっと珍しい野生の動物を食用にしているという程度の認識なのだろう。

人間が育てた牛や豚などのほうが良いという世界。不思議なものだと思う。鯛も鮪も、明石の天然鯛や大間の本マグロが珍重される。天然物が上位という感覚が強くあり、養殖よりも高値で取引されている。その一方で、牛豚鶏などの家畜は真逆。

言ってみれば、ジビエ料理は天然の肉を使った料理。日常で私達が口にしている肉類はほとんど養殖なのだ。

ちょっとだけ視点をかえるというか、表現を工夫するだけで全く違ったもののように見えるから不思議だ。それだけ、普段の生活は偏った世界観だという現れかもしれない。

現生人類のほとんどは、農耕文明に根ざしている。メソポタミア文明でヒトツブコムギが見つけられてからというもの、狩猟採集から徐々に遠ざかり農耕によって生活基盤を作ってきた。富、すなわち食料の備蓄が始まって、それが社会を構成する始まりになった。日本列島では、弥生文明が縄文文明を駆逐するようにして拡大した。それが農耕文明の拡大とイコールであるという。

さて、たしかに西ヨーロッパの食文化などを見るとそのように見える。中世が終わって近世に至る頃には、もうほとんど狩猟採集時代の面影などなさそうだ。けれども、なさそうに感じているのは僕たちが偏った視点で見ているからかもしれない。

日本の食文化を改めて見てみよう。米を中心とした麦や蕎麦などの穀類、大根や人参などの根菜類、コブや海苔などの海藻類、それから豊富な魚介類。これらの産物をもとに、発酵文化が多重奏的な広がりを見せている。さて、田畑で採れるものは確かに農作物であるから、農耕民族的である。しかし、後半の海藻や魚などはどうだろうか。18世紀になって海苔が養殖されるようになるまでは、海のものは天然である。養殖という発想すらない。

牛や豚を育てるのは畜産である。これも農業の一部としてカウントされている。陸上のものは植物も動物も農業で作ることが出来ると考えてきた歴史がある。一方で、海のものは植物も動物も人間の力でどうこうしようという気がなかったようだ。自然に育ったものをいただく。これは、まさしく狩猟採集そのものだ。アサリを収獲するのだって、「潮干狩り」と言うじゃないか。これもれっきとした「狩り」である。

日本の食文化は、長い間農耕文明と狩猟採集文明のハイブリッドだったと言えるのじゃないだろうか。食文化がそうであるということは、食糧生産が今よりもっと密接だった時代を考えると、文化や考え方にも影響してやしないだろうか。

ぼくらは、すっかり農耕文明の延長に生きていると思い込んでいる。だけど、実はそうでもないかもしれない。そもそも、狩猟採集と農耕とで二分することがナンセンスなのかもしれないけど、二分したとしてもグラデーションなのじゃないかと思うのだ。この地域は9割が農耕であるとか、あっちは2割が農耕であるとか。時代によっても地域によっても、いろんなバリエーションがあるかもしれない。

それは、文化的な背景がそうさせている部分もあるだろうし、地形や気候がそうさせている部分もありそうだ。いろんな文脈があって、その上にちょこんと乗っかっているのが現代社会。だから、どこかの社会の先っぽに乗っかっているような気になっていて、その文脈でもって他の地域や時代を見ようとすると、全くおかしなことになる。というような気がするんだよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。民主主義とか資本主義とか、そういった新しい思想ってさ。これこそが理想的だ。みたいなことを言う場合があるよね。だけど、そういうのもいろんな文脈に乗っけてみると、違ったものになると思うんだ。地元流に解釈され直すでしょう。フレンチだって日本流になるんだもの。純粋コピーってのは無理なんじゃないかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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