今日のエッセイ-たろう

寒い朝は陽のあったかさが身にしみる。 2023年12月28日

朝の厨房は冷え込む。手を洗う水は冷たくて、すっかり指先の感覚が鈍ってしまう。包丁を持つ微細な感覚を取り戻そうと、少しずつ温めながら感覚を研ぎ澄まそうとする。冬の毎朝の恒例行事である。勝手口から外に出ると、思いの外暖かさを感じるのは、差し込む朝日のおかげだ。太陽というのは、かくもありがたいものか。

現代よりも平均気温が低かった江戸時代の人たちは、何を感じていたのだろうな。朝餉の支度をする女房衆の吐く息は白く、かまどから立ち上る湯気と変わらない。台所に響くのはどんな音で、どんな匂いが立ち込めただろう。狭い江戸の長屋だったら、寝床との距離も近くて、まだ夢の中にいる子どもたちにも届いていたのかも知れない。

森も川ももっと身近だった時代。太陽が昇ったら活動を始め、日が暮れたら眠るような生活は、古代から江戸時代くらいまでは当たり前の生活サイクルだった。油も木材も、火や灯りが贅沢でありがたい存在。そんな感覚はもう、今の日本ではほとんど感じることが出来ない。

当たり前のことだけれど、当たり前のことをありがたく感じられる。もちろん、現代のように便利ではないし、ずっと厳しい生活をしていたのだろう。けれども、もしかしたら現代人よりも幸福度が高い地代だったのではないかと思うことがある。その原因は、豊かな食生活や便利なもの、快適な住まいやそれらを保証してくれる政治でもない。ただただ、目の前に現れた恵みをありがたいと感じられたからじゃないかと想像する。

足るを知る。というと、贅沢をせずに丁寧に暮らすことのようなニュアンスを感じていて、少し欲求を抑えるような我慢を伴う感覚がある。ぼくだけだろうか。これは、きっと現代人ならではのものなのだろうと思うのだ。うまく表現ができないのがもどかしいが、もっとまっすぐにありがたいと感じられることを表現しているかも知れない。

どんなに寒い朝でも、太陽が昇ればじんわりと暖かさを感じることが出来る。田畑では植物が育って、食べ物を与えてくれる。そこへ流れ込む小川からは小魚、畦には豆やタデなどがあって毎日の食を支えている。改めて目を向けてみるとか、頑張って観察するとか、そういうことをしなくても、毎日のそれらをありがたく感じられるような環境に身をおいている。

アニミズムとか八百万の神々に感謝する心持ちとか。いつどこで体系化されたのか知らないけれど、自然とともに生きていたら湧き上がってくる感情から始まったんだろうな。世界中に太陽信仰があるけれど、それも同じ。だって、あったかいもの。冬キャンプをしていて、大した衣服も暖房の無かったとしたら、朝日の暖かさは命をあたためてくれるような感覚になりそうだ。

あんがい、こうした環境が幸福度を増すことになるのかも知れないと思ったりもする。だからといって、自然とともに生きる暮らしには耐えられそうにもない。現代社会では、貨幣の獲得が必須。自給自足の生活をしるのならば、社会インフラからほとんど断絶しなくちゃいけないだろう。ぼくらは、生活のほとんどすべてを貨幣で買い取っている。衣食住のすべての維持には、必ずお金が必要な生活。

良い按配で、取り入れられたら良い。どうすれば見事なバランスで両立するのかはわからないけれど。東京のような大都市では、都市型農園が注目されている。テラスや屋上が緑地農園になっていて、都市型生活をしている人が自然に触れられるようになっていくかもしれない。現代生活に、幸福の源を取り入れようとする試みなのだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。少しくらい不便であることのほうが、実はメリットが大きいなんてこともあるよね。不便さをリデザインすることで「なんだか良いな」を増やせたら良いんだろうな。どんなアイデアがあるだろう。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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