今日のエッセイ-たろう

思えば遠くへ来たもんだ。積み重ねた工夫のマジック。 2024年6月22日

休日の昼食に出かけたとき、「なんで電気ついてるの?」と娘に聞かれた。「電気をつけていないと暗いでしょう?」という話になるのだけれど、改めて考えてみれば妙な話だ。確かに、自宅では昼間から照明を点けることはほとんどない。よほど天候が悪くて、薄暗く感じるときに明かりをつけるというくらいのものだろうか。

建物の造りはそれぞれだし、家によっては昼間でも証明が必要なのかもしれない。じゃあ、現代ほど電気が普及する前の時代はどうだったのだろうな。なんとなくのイメージしか無いのだけれど、例えば江戸の下町にある長屋はきっと薄暗かっただろうし、表通りの商家や武家屋敷なんかは明るかっただろうとは思う。いろんな条件や制約はあるだろうけど、可能な限り昼間は明るくなるような造りを目指したのじゃないかと思うんだよ。だって、くらぼったいよりも明るいほうが良さそうじゃない。

似たようなことを考えれば、なるべくなら夏を涼しく過ごせるような造りにしていたんじゃないかと思う。古いお寺などを訪れると、建物の中のほうが少しひんやりしていて、過ごしやすく感じることがある。なんだか風通しも良さそうだ。思ったほど蚊に悩まされずに済むのかもしれない。そんなのケース・バイ・ケースだよ、と言われるかもしれないけれど、それでも現代建築に比べれば、こうした工夫が施された建物比率が高いように思える。

エコというよりも、そうするより工夫のしようがない。そんな感じ。エゴにも似たこだわりなんかじゃなくて、ちょっとだけでも環境を良くしようといろんな工夫を積み重ねていったら、そこにたどり着いた。

今の住宅って、もしかして「エアコンがあること」が前提なんだろうか。空調効果を極限まで高めようとした結果としての今。じゃあ、停電したら暑すぎたり寒すぎたりするのは当たり前なのか。

厨房に冷蔵庫があると、熱交換で室内が熱くなる。で、その熱を屋外に排出するために大型の換気システムを導入していて、真夏には足りないからエアコンで熱交換する。実は、冷蔵庫の熱を直接屋外に排出すると、中間のシステムの負荷が軽くなるんだよね。

昔のほうが良かったね。という話をするつもりはなくて、シンプルに違うなと。快適に過ごしたいという目標はきっと同じなんだけど、前提条件が違うから工夫の仕方も違う。どんどん工夫を積み重ねていって、すごく快適になる。だけど、ある時になって気がつく。これってホントに必要なんだっけ?って。一つ一つの工夫を見ていくと、それぞれは素晴らしいものなんだけど、始まりのところから今に至るまでの流れを見てみると、なにかおかしいなってことがある。江戸時代にもそういうことがあっただろうし、現代にもある。

少し前に大ヒットした書籍で、ブルシット・ジョブという概念が広まった。社会にとって、組織にとって、本質的には必要ではない仕事。意味のない仕事や、意味のない仕事に意味を持たせるための仕事とか。全体を俯瞰してみれば確かにその通りなんだけど、それらの仕事が生まれる過程では、とても合理的な素晴らしい工夫をしてきたはずだ。

足元ししっかり見ながら一歩ずつまっすぐ歩いていく。絶対に曲がらないように気をつけているんだけど、実はちょっとずつ微妙にズレていて、よくわからないうちに曲がっていってしまうようなことってあると思うんだ。この喩えは、まっすぐこそが正しいみたいに聞こえるから、それも違うだろうけど。

気がついていないだけで、もしかしたらブルシット・ジョブみたいな生活習慣があるのかもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。努力と工夫を積み重ねてきたからね。簡単に自己否定できないってこともあるよね。ぼくだって、ツライもの。あと、仕組みがしっかりしているから、変えにくいなんてこともありそうよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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