今日のエッセイ-たろう

情熱がディストピアを遠ざける。 2023年2月11日

新型コロナウィルスによるパンデミック発生以降、世界中の経済は大きく揺らいだ。その中の一つに外食産業がある。もはや周知の事実となっているが、外食産業はコロナ蔓延の温床ということにされており、訪れることが憚れる印象が定着した。

料理を食べて、お酒を飲めばマスクを外すことになる。機嫌がよくなれば、お互いに喋るし、声も大きくなる。そんなところが大きな理由となっているわけだ。もうそろそろ良いんじゃないだろうか、と思う人の数が少しずつ増えてきているのだけれど、一度ダメということになってしまうと、気が引けるというのが人情というものだろう。なんとなしに、大っぴらに言いにくい雰囲気がある。外食、とくにお酒を伴う場に行くときは、コソコソとしなければいけないような、申し訳無さそうにしなければいけないような「感覚」が定着してしまった。

さて、こうなると人間というものは厄介だ。悪いことをしているわけじゃないのに、なんだか悪いことをしているような気後れを感じていて、それが常識になっていく。あくまでも可能性の話ではあるのだけれど、後々まで長く文化として定着することすらあり得るのだ。世代交代が繰り返されるなかで、元々の理由などは遠くへと忘れられていく。もしかしたら、なにかのはずみで悪所というレッテルが強化されるかもしれない。

あくまでもディストピアの妄想でしかないのだけれど。

ただ、類似の事例は既に存在している。いや、存在していると解釈することが出来るかもしれない。想起されるのは、日本における肉食禁忌の観念である。元はと言えば、古代から続く穢の概念から生まれたものだ。中世には、稲作への労働を強化するために肉食を制約した。平たく言えば狩りをするより、稲作を頑張れということである。汚れの意識があるから、肉食は豊作への願いを妨げるものだという考えをもっていたということもある。

歴史の途中で、仏教の不殺生戒が肉食禁忌をブーストさせる。これも、おそらくはインドの古い信仰から連なる思想だろう。現代でもジャイナ教やヒンズー教などでは、上位の存在は清浄であり、清浄を保つために菜食生活を送ることが当たり前だと考えられている。日本の穢の観念と非常に近いものがある。

こうした、思想が一般庶民の中に浸透していって、気がつけば肉食は敬遠される存在になってしまった。江戸時代であっても、肉屋は存在していたし肉を食べてはいた。けれども、どこか気後れする。みんなも食べているし、そんなことはわかっているのだけれど、だ。「わかっちゃいるけど、声に出して言うもんじゃないよ。」とたしなめられるような空気が社会に定着してしまう。もしかしたら、ふぐ食も似たようなものかもしれない。

確かに、為政者によって禁止されたものかもしれない。けれど、現代の法律の概念とは違うのだ。もっとゆるやかである。そうだ。現代で言えばガイドラインとかの方針を示したものに近いかもしれない。日本の場合はこれで十分に効果がある。みんな気後れするようになるし、それだけで抑制されるからだ。そのうちに、肉食なんてダサいと言い出す人が増える始末だった。

もし、歴史が韻を踏むのであれば、酒を飲みに出かけること自体が「ダサい」認定されてしまう可能性もあるわけだ。そう言えば、コロナ禍とは関係なく「酒を飲まない人はいいヤツ」みたいな空気がじわじわと定着しつつある。40代以上の人ならわかるとは思うけれど、酒を嗜むくらいのことが出来ないとかっこ悪いという時代もあったのだ。特に男性社会だった時代はそうだろう。

ディストピア的なことばかり妄想していても仕方がないのだ。けれど、せっかく食文化の歴史を学んだのだから、「そういう可能性もある」ということを認知するだけでもしておいたほうが良いだろう。認知さえしていれば、気が付いたタイミングで引き返すことが出来る。嫌なら戻れば良いと考えられる。

景気が後退し続けていると、商売が小さくなるという。物価高騰や客数の減少など、マイナス要素は次から次へと湧いてくる。そうなると、とにかく原価をギリギリまで抑えて、なんとか効率よくビジネスを繋いでいこうという気持ちになる。無駄なコストは限りなく削減したい。そのくせ、経営者などはサービス残業し放題。むしろ、金銭的コストをかけずに投資できる分野はここしかない、と言わんばかりだ。で、体力を削って、思考はさらに暗くなっていく。簡単な判断すらネガティブになりがちだ。

本当はこういうときこそ、明るくビジネスを展開しなくちゃいけない。飲食店だったら、どうやって目の前のお客様をトコトン楽しませようかとあれこれ手を尽くす。そのために資金が必要なら、資金調達に駆けずり回っても良い。面白い企画を片っ端から試していけば良い。

ということを発想するのは、江戸時代の経済を見れば一目瞭然だ。社会経済が悪いときに限って、緊縮財政政策がとられてきた。けれど、一度たりとも緊縮政策で経済が上向いた試しはない。どちらかというと、緊縮政策の後の時代に、そのカウンターとして重商主義的な政策に転換したときに経済は上向いている。そして、そのときには「何としてでもやりきるんだ。大丈夫、頑張ろう」という熱意の塊になっている。もしかしたら、緊縮政策の時代に、尻に火がついて後が無い状態になっていたからかもしれない。

こうしたことは、今現在にも起きているかもしれない。違うかもしれないけれど、そうかもしれない。と思って自分やその周囲を見回してみると良いだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。実は、ぼくがこのスパイラルにハマっていた。なんとか賢く切り抜けようとするモードになっていたのだ。それを補強するロジックを考え、情報も確証バイアスに固められた。やっと、気が付いた。自分を見ていたらダメだ。お客様を見るんだ。こういうときこそ熱意で乗り切るのだ。これだけ勉強してるのに、それでもやっぱりハマってしまうのだな。という反省をこめて。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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